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イチローこそ「侍ジャパン」監督が相応しい

2019.03.22

ついにイチローが引退した。いつか「この日が来ること」は、誰にもわかっていた。しかし、いざ「その日」を迎えると、日本人それぞれにさまざまな思いがこみ上げたに違いない。私も、その一人だった。

試合が終わった後、東京ドームから去ろうとしない大観衆に、イチローは応えた。拍手と絶叫、そして涙の中をイチローは、ゆっくりグラウンドを1周した。試合後の記者会見で、「今日の球場での出来事……あんなものを見せられたら、(野球選手として)後悔などあろうはずがありません」と、それが、これまでの日米29年間にわたる現役生活の中で最高のシーンであることをイチローは吐露した。

夜中の会見だったが、テレビ中継が終わっても、インターネットに切り替えて、日本中のファンがイチローの言葉に聞き入ったに違いない。スポーツノンフィクションを数多く手がけてきた私も、ひと言も聞き逃すまいと会見に見入った。

「日本の方って、表現の仕方が苦手じゃないですか。でも、(今日のあのシーンは)それを覆してくれました。内面にあるものを表現した時の迫力、僕にはとても想像できなかった……。(自分にとって)特別なものでした」

メジャーでも伝説の選手となったイチローに、これほどの「引退の花道」を用意したマリナーズと、その場所を「感謝」と「労い」の気持ちで埋め尽くしたファン。このこと自体が、日本の「野球史に残る」ものだろう。

そして、その後の深夜に及ぶ記者会見でも、数々の“イチロー語録”が生み出された。私が最も心に残ったのは、これまで自分が打ち立てた数々の記録よりも「今日のあの舞台に立てたのが大きい」と、彼独特の言いまわしで説明したことだ。

昨年5月、マリナーズの会長付特別補佐に就任し、現役でプレーすることができなくなったイチローは苦悩した。私自身も、イチローの苦しみの深さを人づてに聞いていた。それでも昨年のシーズンの「最後の日」まで、いつでも現役に復帰できるよう精進を欠かさず、イチローはグラウンドで選手たちと汗を流し続けた。

誰に言われたわけでもないのに、腐ることもなく、黙々とイチローは身体をいじめ抜いた。「記録などよりも、あの日々ですね。それをやり通せたことが、ささやかな誇りを生みました。どの記録よりも、自分の中では、ほんの少しだけでも誇りを持てたことだと思う」。イチローは、苦悩の日々をそう表現した。

そして、「ゲーム後にあんなことが起こるなんて……」と、立ち去らない日本のファンとの間で共有できた、奇跡のような「グランド一周」の時間を、また挙げたのである。「死んでもいい、という表現は、こういう時のためにあるのかなあ、と思いました」。イチローはそこまで語ったのである。

野球ファンなら、誰もがイチローの凄まじいまでのストイックな鍛錬を知っている。しかし、その「生きざま」について質問が出た時、イチローはこう答えた。

「僕は人よりがんばることなんて、とてもできないんですよね。あくまでも“秤(はかり)”は自分の中にあるんです。自分なりにその“秤”を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということをくり返す。そうすると、いつの間にか、違う自分になっている。少しずつの積み重ねでしか、自分を超えていけないと思うんですよね。

一気に高みにいこうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないんです。地道に進むしかない。いや、進むだけじゃない、ある時は、後退しかない時期もある。でも、自分がやると決めたことを信じて、やっていく。しかし、それが正解とも限らないんです。ひょっとしたら、間違ったことを続けてしまっているかもしれない。

でも、そうやって遠まわりすることでしか、本当の自分には出会えないかもしれません。そうやって積み重ねてきたことを、ゲーム後のあのファンの方々、ひょっとしたら、そこを見てくれていたのだとしたら、本当に嬉しいです」

含蓄のある言葉だった。「“秤”は自分の中にある」「それを少しずつ超えていく」「その積み重ねでしか、“本当の自分”には出会えない」――まさに、イチローの過酷な現役生活を表わす言葉の数々である。また、子供たちへのメッセージとしてこんなことを語ったのも印象深かった。

「自分が夢中になれるものを見つけられれば、そういうものを早く見つけて欲しい。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁、それに向かっていけます。でも、それが見つからないと、壁が出てくるとあきらめてしまう。自分に向いているか向いていないか、ではなく、好きなものを見つけて欲しい」

近代野球ではもう破ることは不可能とまで言われたジョージ・シスラーのシーズン257安打の記録を塗りかえ(262本)、空前絶後の「10年連続200安打」、ギネスブックにも記録される日米通算4367安打……等々、史上「最強」バッターがベーブ・ルース、ハンク・アーロン、王貞治らの中から選ばれるとするなら、間違いなく史上「最高」のバッターはイチローだろう。彼の言葉は、駆けつけた300人以上の記者たちを魅了した。

私には、どうしても忘れられないシーンがある。アメリカでも野球の神様のように言われている王貞治監督のもと、リーダーとしてWBC第1回大会を優勝に導いたイチローは、第2回大会で厳しいマークに遭い、大スランプに陥った。

WBCで勝つことの意味を誰よりも知っているイチローは、チームを鼓舞しつづけた。絶不調にもかかわらず、原辰徳監督はそのイチローを1番から外さなかった。決勝リーグまでに韓国に連敗するなど、あまりの苦戦に「イチローの胃に穴があいた」という情報がスポーツ記者の間で流れたことを思い出す。

それでもイチローの勝利への執念は、いささかも衰えなかった。決勝の韓国戦は、同点で延長戦へ。10回表に2死2、3塁でイチローが打席に入った時、あまりの緊迫感に「祈るだけ」の状態になってしまい、テレビ中継をそれ以上観ることができなくなったファンが続出する。

ファウル、ファウルで7球も粘ったイチローが、日本中の絶叫のなか、痛烈なセンター前ヒットで決勝点をもぎとり、侍ジャパンは見事、WBCを連覇したのである。

日本を離れて大リーグ入りした中には、「日の丸」を背負うことを拒否し、侍ジャパンに入ることを回避する選手もいる。しかし、イチローは日の丸に熱い思いを抱き、常に侍ジャパンの一員であることの誇りを語った。

腕を折れよとばかりに投げ抜き、WBCで2大会連続MVP(最優秀選手賞)に輝いた松坂大輔投手と共に、イチローの戦いぶりと執念は、観る者の心を震わせた。

そのことを日本人は忘れてはいない。あの最後のグラウンド1周でイチローを包んだ絶叫と涙には、イチローの現役生活そのものへの感謝が込められている。私は、稲葉篤紀監督の「次」には、なにをおいても侍ジャパンの監督にイチローになっていただきたい。

引退会見で「監督? 絶対むりですよ。人望がない。人望がないですよ、僕」と報道陣を笑わせたイチロー。いやいや、あなたの秘めた闘志と、野球の本場・アメリカで日の丸をセンターポールに上げる意味を知り、熱い思いを持つあなた以上に侍ジャパンの監督が相応しい人はいない。

昨夜、東京ドームであなたに涙と共に熱い拍手を送ったファンは、そのことを心から望んでいる。頼みますよ、イチローさん。長い間、本当にお疲れさまでした。

カテゴリ: スポーツ

岩屋毅防衛相を「罷免」せよ

2019.02.24

国民は、唖然としたのではないか。2月23日、岩屋毅防衛相が、東南アジア諸国連合(ASEAN)の拡大国防相会議(ADMMプラス)の事務レベル会合に合わせ、4月29日から韓国・釜山沖で行われる海上共同訓練に「海上自衛隊が参加する」と表明したのだ。

前日の22日、韓国国防省は、「日本の海上自衛隊は参加しない」とすでに発表しており、それを否定する形で、日本が「参加表明」したのである。

驚くべきは、その先だ。報道によれば、岩屋氏は記者団に対して「釜山への入港は見送るが、あとのプログラムはすべて参加する。適宜適切に判断しつつ日韓の防衛協力も進めていきたい」と語ったのである。

咄嗟に私は、ある都々逸(どどいつ)の一節を思い出した。「踏まれても 蹴られても ついていきます 下駄の雪」である。

日本は、ことここに至っても、「ああ、そんなに参加したいのか。よしよし」と韓国に頭を撫でてもらって「参加させてもらう」方針を選択したのだ。ああ、またかと、呆れたのは私だけではないだろう。

「“真の日韓関係”は、これでまた遠ざかる」――私の思いをひと言で表現するなら、それだ。済州島で開かれた国際観艦式で、韓国が海上自衛隊の護衛艦に対して旭日旗(自衛艦旗)を掲げないよう求めたため、護衛艦の派遣を中止したのは、昨年10月だ。しかし、韓国は一向に反省もせず、逆に12月にはレーダー照射事件を引き起こした。

そんな姿勢の韓国に、今度は日本が「参加させてください」とすり寄ったのである。レーダー照射事件では、自衛隊員が「命の危機」に晒され、その後、反省するどころか韓国は開き直って「威嚇飛行に対して謝罪しろ」などと理不尽な要求を続けている。

いくら今回の海上共同訓練が重要だったとしても、逆に参加することで生じるマイナスを考えたら、もはや、防衛省に「まともな思考」を期待することが無駄であることがわかる。

日本と韓国は、激動する東アジア情勢からも、“真の同盟国”でなければならない。だが、「踏まれても 蹴られても ついていきます 下駄の雪」というやり方では、それが逆に「遠ざかってしまう」ことが、なぜわからないのだろうか。

当欄で何度も書いているとおり、歴史上、中国の代々の王朝を宗主国として、その属国として生きてきた朝鮮半島の人々には、強いものにはひれ伏し、弱いものには居丈高になる「事大主義」が染みついている。

そのため、韓国は“強い国”であるアメリカや中国に対しては、「節度」と「敬意」をもって接している。しかし、日本に対しては、「節度」と「敬意」を払わず、「何をやってもいい」と舐め切っている。事大主義の国なので、常に“弱腰”で“情けない”日本には当然の姿勢だろう。

その国に対して、今回の参加表明は「絶対にしてはならないこと」なのである。仮にアメリカから「日本も参加して欲しい」という要請があったとしても、きちんと不参加の理由を説明して理解してもらわなければならないのではないか。

私は、「日王(注=日本の「天皇」)は慰安婦の手をとって心から謝罪しろ」という先のムン・ヒサン国会議長の言葉も、「日本に対しては何をやってもいい」と舐め切った「事大主義」に起因するものだと思っている。

旭日旗問題、そしてレーダー照射事件以来、私は、軍の留学生交換停止、同じ階級による交流・会談の停止、Gソミア(日韓軍事情報包括保護協定)の自動更新の停止……等々に踏み切り、日本が毅然とした姿勢を示すようあらゆる機会を通じて訴えてきた。

韓国に自分たちが「日・米・韓」という自由主義陣営におり、同盟関係にあるという重要性を理解してもらうためだ。しかし、防衛省、すなわち安倍政権は違った。逆に韓国に対して誤ったメッセージを送ってしまったのだ。

今回の参加表明で、韓国はホッとしただろう。そして、日本へのこれまでのやり方が「正しかった」ことを再認識した。今後、ますますエスカレートするだろうし、それは、同時に「真の日韓関係」が遠のいたということでもある。

私は、日本国民も、きちんと意思表示をしなければならないと思う。それは「岩屋防衛大臣の罷免」要求である。

国民は、レーダー照射事件以来、この人の毅然とした態度や表情を一度でも見たことがあるだろうか。フラフラとしてぺーパーに目を落とし、自分の言葉で物事の本質を語ることもできず、多くの国民がニュース映像を見ながら「この人は大丈夫か?」と心配してきたのではないだろうか。

この御仁が、韓国に対して今回のような誤ったメッセージを出すのは、おそらく“時間の問題”だったに違いない。そして、同時に海上幕僚長出身の河野克俊・統合幕僚長の責任も重い。なぜ大臣に韓国への「毅然とした姿勢」を促せないのか。

韓国は、日本にとって安全保障上、重要な存在である。だからこそ、いま、「舐められてはいけない」のだ。果たして「多国間訓練への不参加は日本にもプラスではない」などと、生ぬるいことを言っている場合なのか。日本が舐められたままの状況で、本当に両国の同盟が盤石になると思っているのだろうか。

今回の参加表明で、これまでと同様、韓国は「日本には何をやってもいい」と意を強くしただろう。幾度も書いてきたように、それは「真の日韓の未来」にマイナスになることである。

制裁を受けるべきなのは、果たして「韓国」なのか、それとも「安倍政権」なのか。韓国に毅然としたメッセージも発せられず、それと逆のことしかできない政府に対して、国民が「愛想を尽かせる時期」が着実に迫っている。

カテゴリ: 国際, 政治

韓国への「制裁発動」の機は熟した

2019.02.22

今日は、「竹島の日」である。韓国では「独島(注=竹島の韓国での呼称)は我々の領土だ」として日本の大使館や総領事館の前で「公館の安寧の妨害、威厳の侵害を防止する」ことを定めたウィーン条約に違反するナショナリズム剥(む)き出しの抗議デモがおこなわれている。

3月1日には、「3・1運動100周年」があるので、いよいよ、彼らの“いつもの”非礼な行動もクライマックスを迎える。しかし、これまで何度も書いてきたように、それは「日韓の真の未来」のためには、大きなチャンスなのである。

満を持した韓国への「制裁発動」の最大の好機ということだ。ポイントは、いわゆる“徴用工”判決の犠牲者である新日鉄住金の資産売却が「現実になった時」にある。国際法を無視し、外国の企業の資産を勝手に売ってしまうのだから、それを許す国は、もはや「法治国家」とは言えない。

20日の衆院予算委員会で河野太郎外相は、“徴用工”裁判の原告側代理人が15日、都内の新日鉄住金本社前で、すでに差し押さえている韓国内の同社資産を「売却、現金化の手続きを始める」と宣言したことを受け、「万が一の時には、さまざまな対抗策を発動する用意がある」と語った。

「やっとここまで来たか」と感慨深い国民は少なくないだろう。実現すれば、いよいよ韓国との本気の闘いが始まるからだ。それは「日韓の真の未来」のためには、絶対通らなければならない「道」なのである。

“徴用工”判決や慰安婦「癒し財団」の解散、レーダー照射事件……そして、韓国の三権の長である文喜相(ムン・ヒサン)国会議長の天皇への非礼発言など、もはや、日本が韓国と「正常な関係」を維持できる状態でないことは間違いない。

そもそも天皇が、なぜ韓国の慰安婦の手を取って謝罪しなければいけないのか、私には理由がわからない。慰安婦は、たしかに薄幸な女性たちである。だが、彼女たちはあの貧困の時代に、高額の報酬と引きかえに「身を売っていた」人たちである。

貧困ゆえに、あるいはさまざまな事情で、当時の上等兵の給料の30倍という驚くような高額の報酬を得て、身を売っていた人たちだ。

朝日新聞が書き立て、韓国が躍った「日本軍や日本の官憲による“嫌がる婦女子”の強制連行」という話は、とっくに破綻している。高額報酬を謳(うた)った新聞広告に応募した女性たちは、実際に、各地の方面軍司令官の給与を遥かに超える収入を得た。

つまり、彼女たちを「強制連行」しなければならない理由など、どこにも存在しなかった。それぞれの事情で春を鬻(ひさ)ぐ商売についていた彼女たちの「なに」に対して天皇は「手を取って謝罪」しなければならないのだろうか。

しかも、日本は人道的見地から彼女たちに何度も手を差しのべてきた。それは、朝鮮半島出身の労働者たちに対するものも含め、ほかの敗戦国とは比較にならないほどの手厚いものだったと言えるだろう。

2015年12月の慰安婦問題「日韓合意」の前にもアジア女性基金を立ち上げ、慰安婦たちに償い金を支払い、橋本(龍)、小渕、森、小泉という4人の首相がお詫びの手紙も併せて送っている。

何度も何度も、日本は「これで解決する」という韓国側に乗せられ、謝罪をくり返してきた。今回は、その末の天皇への非礼な謝罪要求だったのである。国民ももはや看過することはできないだろう。

そして、いよいよ差し押さえられた新日鉄住金の資産に対する「売却手続き」が始まる。どこにも非がなく、真面目に、そして、まっとうに企業活動をつづけている新日鉄住金に対して、そのようなことをおこなう国を放置するわけにはいかない。

ついに機は熟したのだ。対抗策として、韓国製品の関税引き上げなどが取り沙汰されているが、私は、今こそ「伝家の宝刀」を抜く時だと思う。

それは、「外為法16条」の適用対象国に「韓国を指定」することだ。つまり、韓国への送金を政府の「許可制」とするのである。

すでに北朝鮮にはこれが適用されている。日本の企業の資産を不法に侵す韓国に対しても、北朝鮮と同様、外為法16条の適用をおこなうべきである。「日本企業を守るため」のものなので、それは、政府としても当然の措置と言える。

この制裁は、韓国にとって致命傷となる。韓国経済はおそらく一気に沈むだろう。「許可制」とは、日本政府がその国への送金を「嫌がっている」という意味である。企業はこの手続きの煩雑(はんざつ)さと、政府の意向を感じとって、韓国から距離を取らざるを得なくなる。

狙いはそこにある。日本企業が韓国から引きはじめたら、脆弱な韓国経済はあっという間に破綻する。文在寅政権がとった2年連続の「最低賃金の引き上げ」策は、韓国企業に最低賃金の30%アップという大変な負担をもたらしている。

韓国企業は、“雇い止め”という対抗策を講じるほかなく、韓国の若年層は、現在、失業率が実に「10%以上」となり、もがき苦しんでいる。経済音痴の文大統領には、最低賃金の「大幅アップ」が失業率の増大をもたらすという経済原理が理解できないのである。

韓国の若者には「日本企業への就職」が最大の願望となっているが、そこにも制裁を課す必要がある。いくら人手不足であろうと、日本企業は、これを受け入れてはならない。ここでぐっと我慢しなければならないのだ。

経済産業省は、各業界に「韓国からの就職希望者を採用しないように」と“内部通達”して、敢然とした姿勢を示せばいいのである。あっという間に韓国は社会不安に陥るだろう。

たった二つの制裁で、韓国は事実上、破綻する。当然、文政権は倒れるだろう。しかし、文政権が倒れても、日本は制裁を緩めてはならない。

毅然とした姿勢を示すのは、むしろ「それから」だ。なぜ韓国は、歴史の「真実」に目を向けないのか――日本側のこの言い分を伝えるのは、「それから」なのだ。

日本は朝鮮半島の発展に長年、寄与し、今の豊かな社会の礎を築いたし、女性を“姓奴隷”にするようなこともやっていない。その歴史の真実を韓国民にわかってもらうチャンスが、その時、「初めてやって来る」のである。

「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」に煽られて、慰安婦問題で虚偽の事実を信じ込まされてきたことに気づいてもらえばいいのだ。毅然と“伝家の宝刀”を抜き、韓国に、日本に対してもアメリカや中国に対するのと同様の「節度」と「敬意」を持ってもらえばいいのである。

しかし、日本には、日韓議員連盟や媚韓メディアが多数存在する。制裁をストップさせようと、さまざまな工作と攻撃が波状的に「安倍政権を襲う」だろう。

その時に、国民がいかに「韓国への制裁」を支えるか。ポイントはそこにある。腰砕けに終わって、また韓国に舐められたまま、日本は不条理な行動を受けつづけるのか。それとも、敢然と制裁を続けるのか。国民の支持次第である。

韓国民が、自由主義国の一員として日・米・韓の同盟が最も大切であることを知るのは、日本の制裁による「痛み」と「苦しみ」、そして日本人の「怒りの根源」が身に染みてからのことである。

それこそが、「真の日韓関係」の第一歩なのだ。逆に、韓国への制裁をここで発動できず、国民から「なにもできない安倍政権」という叱声を受けるなら、亥年選挙の2019年は、安倍首相にとって間違いなく“痛恨の年”となるだろう。

カテゴリ: 国際, 政治

「子供の命」を守れない安倍政権

2019.02.07

ただ虚しさに包まれて、この文章を綴っている。1月24日、千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)ちゃん(10)が自宅で父親・栗原勇一郎(41)に殺された事件は、単なる「虐待死事件」ではない。行政の不作為によって発生した殺人事件である。

わかりやすく言えば、安倍晋三首相、加藤勝信・前厚労相、森田健作・千葉県知事らによる「怠慢」と「不作為」がもたらした事件だと、私は思っている。

「きょうよりか あしたはもっともっと できるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください」――悲痛な文章を残して昨年3月に殺害された東京・目黒区の船戸結愛ちゃん(5つ)の事件を思い出して欲しい。

私は、あの時も「NPO法人シンクキッズ 子ども虐待・性犯罪をなくす会」代表理事の後藤啓二弁護士と共に「虐待案件の警察との全件情報共有」を訴えた。

新聞や月刊誌、テレビ等々で、そのことを訴え、講演などでも折に触れて、この虐待問題を取り上げさせてもらった。しかし、安倍首相をはじめ、自治体の長も、高知、大分、広島、岡山、茨城、愛知、埼玉、岐阜、群馬、大阪、岩手、神奈川の12府県を除いて、いまだに警察との全件情報共有は実現していない。今回の千葉県の森田健作知事も、これを“拒否”しつづけている一人である。

学校のアンケート調査に「お父さんにぼう力を受けています。先生、 どうにかできませんか」と書いてSOSを発していた心愛ちゃんは、虐待をおこなっている当の父親にその文章を見せられ、虐待の中、息絶えた。

2017年には、地元千葉の「要保護児童対策地域協議会」のリストにも載っていたのに、大人たちは心愛ちゃんの「生」へ、誰も手を差しのべなかった。そして、最後まで警察との「情報共有はなされなかった」のである。

こういう鬼畜のごとき人間は、何千人、何万人の中には、必ず存在している。行政をはじめ、私たち大人は、こういう悪鬼が「存在していることを前提に」子供たちの命を守らなければならない。

しかし、安倍首相も、加藤前厚労相も、森田健作千葉県知事も、もちろん、東京都の小池百合子知事も、「虐待案件の警察との全件情報共有」に背を向けてきた。つまり、大人に裏切られて結愛ちゃんも、心愛ちゃんも「死んでいった」のだ。

父親・栗原勇一郎は、児相や教育委員会という大人たちが威圧を感じ、恐怖を感じるほどの虐待男である。しかも、その間に「結愛ちゃん殺害事件」も起きている。それでも、児相や教育委員会は、警察にこの案件を通報さえしなかった。もし、「全件情報共有」の制度が実施されていたら、警察は心愛ちゃんのことを「把握していた」ことになる。

もちろん、警察が情報を知っていたとしても、必ず「子供の命が救える」というわけではない。しかし、救える可能性が増えることは疑いがない。児相の職員には、また教育委員会の人間には、「身体を張って」子供の命を守ることができる職員、あるいは、そのことに使命感と意欲を持つ職員がどのくらいいるのだろうか。

申し訳ないが、私は児相の職員が「子供の命を守ることができる」とは思っていない。なかには、そういう人もいるだろうが、あくまでそれは「例外」であろうと思う。それは、「遺伝子の違い」による。

私は昨年7月6日、後藤弁護士と共に櫻井よしこ氏の「言論テレビ」に出演し、安倍首相と当時の加藤勝信厚労相に「虐待案件の警察との全件情報共有」を訴えた。その時、私は警察と児相との“遺伝子の違い”を語らせてもらった。

警察は「命を守る」遺伝子を持つ組織であり、児相は、「親子関係、あるいは家族関係を守る」という遺伝子を持つ組織である、と。両者は、何から何まで違うのである。これは、全国に先がけて児相と警察との虐待情報の全件共有を実施した高知県の児相の担当者から取材で聞いた話である。

栗原のような凶悪な殺人者であろうと敢然と立ち向かえるのは、「命を守る」警察である。私は、昨年、月刊『Hanada』8月号の「現場をゆく」に、結愛ちゃん殺害事件を受けて、こう書かせてもらった。

〈そもそも児相と警察とでは「遺伝子」が異なる。警察は「命」を守る組織であり、児相とは「親子や家庭」を守る、つまり、親子関係などを「修復する」組織である。
 児相への虐待相談件数が10年で3倍、約12万件にまで急増する中、圧倒的に人員が不足し、「命を守る」という遺伝子が希薄な児相に、なぜいつまでも虐待案件を「抱え込ませる」のだろうか。
 品川児相が、品川、目黒、大田の三区を管轄するように、そのエリアは広大で、全国どの地域でも、目は全くと言っていいほど「届いていない」のが現状だ。それでも児相は「増員」を要求するだけで、警察との全件情報共有に否定的だ。
 しかし、住民にとって最も身近な存在である近くの交番のお巡りさんが、毎日のように「結愛ちゃん元気ですか」「結愛ちゃんの顔を見せて下さい」と訪問してくれるようになったら、虐待死は、どのくらい防がれるだろうか。
 少なくとも、児相が抱え込んでいる現状よりも、救われる命が一つでも二つでも増えるのは間違いない。
 児相の言い分にばかり耳を傾ける自治体の首長を含む政治家たちの危機意識の欠如が、今も“明日の結愛ちゃん”を生み続けている。行政の目が届かない中で、ただ虐待死を待つ子供たちが哀れでならない〉

まさに〈政治家たちの危機意識の欠如〉が哀れな“明日の結愛ちゃん”である「栗原心愛ちゃんを生んだ」のである。安倍首相が、全国の自治体に向けて「あらゆる行政機関で虐待情報の全件共有を実施せよ」と号令を発すればいいだけの話なのに、しかし、首相はそれを「しない」のだ。

昨年7月8日付の産経新聞(「新聞に喝!」欄)に私が書いたマスコミ批判の文章の一部も再掲させていただく。

〈私は、同様の事件はこれからも起こり続けると思っている。なぜなら「児相の職員を増やせ」「専門性のある職員をもっと」と、同じ意見が“いつものように”叫ばれるだけだからだ。
 新聞はなぜ問題の本質を突かないのだろうか。それは、「もはや児相には期待できない」ということだ。児童虐待防止法には、児相による自宅立ち入り調査も認められており、その際、警察の援助を求めることもできるようになっている。だが、児相はそれを活用しない。なぜか。
 それは職員の能力と意欲の問題であり、一方で「プライバシー侵害」やら「親の権利」を振りかざす“人権の壁”への恐れがあるからだ。子供を虐待死させるような親は、人権を盾に抵抗し、あらゆる言辞を弄して子供への面会を拒む。この壁を突破して子供の命を守るには、逆に、児相に「案件を抱え込ませてはならない」のである。
 警察を含むあらゆる行政組織が全情報を共有し、例えば“街の灯台”たる交番のお巡りさんが、絶えず訪問して子供の顔を確認するようなシステムを構築しなければならない。しかし現実には、児相や厚労省は、職員の増員を求めるのに必死で、虐待情報の共有に否定的だ。彼らにとっては、自らの権限拡大の方が大切なのだ。こうしたお役人の言い分に目を眩まされているのが、小池都知事であり、安倍首相にほかならない〉

 後藤弁護士からも、本日、怒りのメール・マガジンが届いた。この文章を読んで、鬼畜のような親の虐待を受けて必死で助けを呼んでいる子供たちのことをどう思うだろうか。少々長いが、ご本人の許可を得て全文を紹介させていただく。

〈千葉県野田市心愛さん虐待死事件が起こった際、「だから、一昨年9月に訪問してあれほどお願いしたじゃないか。それから何度も上司に会わせてほしいとお願いしたじゃないか」という千葉県に対する怒りと同様の怒りを厚労省と警察庁に感じました。

 私どもは、4年半前から、平成26年夏から、東京都葛飾区愛羅ちゃん虐待死事件という児童相談所と警察が情報共有さえしていれば確実に救うことのできた事件を機に、厚労省、警察庁に対して、児童相談所、市町村、警察との全件情報共有と連携しての活動を義務付ける法律を制定するよう署名活動を行い、厚労省、警察庁の幹部と何回も会って働きかけ、当時の世耕官房副長官に関係省庁副大臣会議も設置していただき、要望書も提出してきました。

 しかし、両省庁とも全くの拒否でしたので、国会議員にお願いしたところ、衆参の厚労委員会は、平成28年、29年と二度も、「漏れなく確実に共有」(参議院)「全件共有」(衆議院)を政府に検討を求める附帯決議を全会一致でつけてくれました。

 公明党の古屋範子議員や民主党(当時)の井坂信彦議員は全件共有の必要性を委員会で訴え塩崎大臣に厳しく問いただしていただきました。塩崎厚労大臣は「できる限りの共有をしなければならない」と答弁しているのです。

 それでも、厚労省、警察庁は応じないのです。そしてそのまま、昨年3月に東京都目黒区結愛ちゃん事件を引き起こしてしまったのです。私どもの要望を国が受け入れ、全件共有と連携しての活動を自治体に指示していれば、結愛ちゃんはあんなに残酷に虐待死させられることはありませんでした。

 しかし、これでようやく国も動くだろうと思い、私どもは、昨年6月に国に対する全件共有と連携しての活動を求める三度目の要望書を出し、両省庁に働きかけましたが、またまた拒否されました。これには唖然とし、このときはっきりと悟りました。厚労省、警察庁は、子どもを守る気がないのだなと。

 特に私の出身である警察庁がかくもやる気がないのには大いに落胆しました。警察庁が厚労省にやりましょうと言いさえすれば厚労省も反対できないのです。警察庁の最高幹部の意見の中には「下手に情報共有すると、知っていたとして責任を問われるじゃないか」というものもあり耳を疑いました。

 都道府県警察にも自治体に働きかけ全件共有と連携しての活動をするよう指示していないようです。むしろ逆の動きをしているのではと疑われる話もあり、一体全体今の警察庁の最高幹部は何を考えているのか、という思いです。

 結局、昨年7月20日に出された政府の緊急対策では、児童相談所と警察との情報共有は一部に限定されてしまったのです。そして、今回の事件をまたまた防ぐことはできませんでした。

 厚労省と警察庁が4年半も前からの私どもの要望を、多くの方の署名を、繰り返される虐待死事件を真摯に受け止めていれば、結愛ちゃんも、心愛さんもかくも残酷に虐待死させられることはありませんでした。厚労省と警察庁の責任は誠に重大です。

 自治体のほうが、真摯に受け止めてくれています。都道府県警察は警察庁と異なり熱心で、私からの要望を拒否した本部長はいませんでした。私の同期、後輩ということもあるのかもしれませんが、みんな極めて熱心で、連携を渋る県を説得してくれた本部長や県の幹部の方も少なくありません。警察庁の消極姿勢にかかわらず、熱心に取り組んでいただいている後輩を含め都道府県警察の方には頭が下がる思いです。

 現場の危機感、悪化する一方の児童虐待、親が怖く、親とのトラブルを嫌い親に逆らわない児童相談所、子どもに傷があっても親が「子どもが勝手に転んだ」と虐待していないと言うとそれをうのみに「虐待でない」と処理してしまう児童相談所、面会拒否されたらあっさり引き下がる児童相談所、通報があれば48時間以内にいけばいいとのんびりした対応を続ける児童相談所、こんな児相に任せていると大変なことになるという危機感があるのです。

 自治体も、高知県、大分県、広島県は私どもの要望以前から全件共有と連携しての活動を実施していただき(岡山県もほぼ全件共有に近い取組です)、昨年以降、茨城、愛知、埼玉、岐阜、群馬、大阪、岩手、神奈川、名古屋の各自治体にも受け入れていただき、現在、横浜、川崎、相模原、横須賀、静岡などで基本的にご了解いただき前向きに準備をしていただいております。

 ただ、千葉県と東京都は何度ひどい虐待死事件を引き起こしても拒否の姿勢は変わりませんし、兵庫県、神戸市、香川県は副知事、市長、知事に直接面会してお願いしても拒否されてしまいました。福岡県、福岡市も知事、市長との面会をお願いしても応じていただけません。これらの自治体には、ご再考をお願いしておりますが、どういうご回答をいただけるかは分かりません。

 前向きな自治体が増えてきている一方で、いくらお願いしてもご理解いただけない自治体も少なくない現状では、国として直ちに昨年7月の全く不十分な政府の緊急対策を見直し、一部の案件の共有にとどまっているのを全件共有と連携しての活動を打ち出すことが必要です。

 これから、厚労省、警察庁、官邸、自民党、公明党をはじめ各政党に改めて働きかけてまいる所存ですが、役所の劣化が激しいといわれる昨今、政治、特に、官邸から、厚労省、警察庁に「担当省庁だろう! もっと責任感もって、ちゃんとやれよ! 連携ぐらいしろ! こんなことも指示しないとできないのか! ふざけんな!」くらいのご指示をいただくよう期待しております。

 このようなかくも長き政府、多くの自治体での無策は、中央省庁、自治体の不作為について幹部に責任を取らせる法制度がないことが原因と考えております。株式会社の役員に対する善管注意義務違反に対する損害賠償責任類似の制度を中央省庁や自治体の課長以上に課する制度が必要ではないかと痛感しており(ご参考拙著「子どもが守られる社会に」エピック社)、このような制度の整備についても働きかけてまいりたいと考えております〉

 以上、長くなったが、後藤弁護士の怒りのメール・マガジンを紹介させていただいた。厚労省幹部、あるいは、児相の幹部たちの言うことを鵜呑みにして「児相職員の増員」で虐待死を防げると思っている安倍首相や各都道府県の知事たちには、この際、死んだ心愛ちゃんの写真を前に、静かに自らの「不作為の罪」と向き合うようお勧めする。

カテゴリ: 事件, 政治

ここで許したら「日韓の未来」はない

2019.01.05

韓国の火器管制レーダー照射事件は、滑稽な展開になってきた。韓国・国防省が4日に公表したBGMつきの映像が、反論にもならないレベルのもので、早期の幕引きに日本が同意したら、日本まで世界の笑いものになってしまうようなものだったからだ。

しかし、映像公表後の日韓外相による電話会談によって「早期解決」で見解が一致したというから油断はならない。もし、日本が、このまま「早期解決」を図ったら、安倍政権の支持率急落は避けられまい。統一地方選、そして参議院選にも尾を引く問題となるのは間違いない。

私は、そんな支持率や選挙などとは関係なく、「日韓の未来」のために、この問題の徹底解明をお願いしたい。韓国が引き起こしたこの事件とその後の対応は、これまでの韓国と日本との関係悪化の“すべて”が現われているからだ。

韓国の「嘘に嘘を積み重ねる」いつものやり方と、都合が悪くなったら、すべてを卓袱台(ちゃぶだい)返しする特性が、これほど国際社会で白日の下に晒される事例はなかなかあるものではない。

韓国が公表した映像に、日本人は呆れるより笑ってしまったのではないか。映像の大半は日本側が公表したものの引用であり、韓国側が撮影していた10秒ほどの映像には、駆逐艦の近くを漂流する北朝鮮の漁船、そして遥か先の上空を飛行する海上自衛隊の哨戒機が豆粒のように映っていただけだった。

映画もどきの不必要なBGMで深刻さをアピールしても、そして何度も「人道主義的な」状況という文言をくり返しても、そこから自衛隊哨戒機の問題点はひとつも出て来ない。字幕で「日本側の低空威嚇飛行」と、「自らの正当性」を訴えるものの、それを証明するものは「どこにも存在しない」のだ。

日本に対して、中国やアメリカに払っている「敬意と節度」がなく、日本には「何を言ってもいい」という舐め切った韓国の姿勢が今回の事件の根本にある。中国やアメリカに対して、火器管制用レーダーを照射することなど、あり得ないからだ。

ありもしない「強制連行」を証拠もないまま信じ込み、いまだに謝罪を求める慰安婦問題、ジャパンドリームを夢見て企業の「自由募集」に応じた若者が、いつの間にか昭和19年9月から半年しかなかった「徴用工」になりすますことができる裁判、国と国(大韓帝国と大日本帝国)が結んだ国家間の条約を不法・無効と言ってのける国際感覚、日韓基本条約の前提となった請求権放棄さえ引っくり返す国民性……すべては、白を黒、黒を白と言いくるめようとする今回の事件に通底している。

日本は、火器管制レーダー照射の証拠をさらに突きつけた上で、以下の問題を韓国に問い質さなければならない。

(1)なぜ日本のEEZ(排他的経済水域)内で救難信号を出してもいない北の漁船を韓国の駆逐艦が救助しているのか。
(2)韓国の艦船は、なぜ国旗も海軍旗も出さずに日本のEEZ内で活動しているのか。
(3)当初、「すべてのレーダーを起動したら、たまたま哨戒機に当たった」としていたのに、なぜ途中から「照射していない」と主張事実を変えたのか。
(4)近くに北朝鮮の船がいて救助中なのに、「捜索のためのレーダー」がなぜ必要だったのか。
(5)説明が、時間が経過するごとに二転三転している理由は何か。
(6)2014年に合意された「海上衝突回避規範(CUES)」には韓国を含む21か国が参加している。その中で絶対にやってはならないと確認している火器管制レーダー照射がおこなわれた理由は何か。
(7)哨戒機の飛行に脅威を感じたなら、「海上衝突回避規範」で確認されている「無線」での連絡・警告をなぜおこなわなかったのか。
(8)聴き取れなかったと主張する自衛隊からの無線連絡は、韓国側が公表した映像でもはっきり聴き取れる。これに応答しなかった理由は何か。
(9)日本と韓国は、北朝鮮への国連の経済制裁によって“瀬取り”を監視しなければならない立場である。今回の韓国の行為は、それに合致したものなのか。

以上の疑問点を日本は、国際社会を代表して究明しなければならない。ウヤムヤにしたら、日本は国際社会を失望させるだけでなく、これまで同様、「韓国に舐められつづける」だろう。

今回、日本が毅然とした対応がとれるか否かは、中国やアメリカに対して韓国が持っている「敬意と節度」が今後、日本に対しても「生まれるかどうか」がかかっている。

それが生まれてこそ、日韓の真の友好はスタートする。そのためには、「これ以上の追及をするな」「早期解決を図れ」と今、必死で官邸に働きかけている日韓議員連盟の言うことに耳を貸さないことだ。そして私たち国民は、彼ら日韓議員連盟が、日韓の未来の「真の敵」であることを認識する必要がある。

安倍政権は、次は火器管制レーダー照射の証拠を突きつけ、それに韓国が対抗措置をとってきた時に、粛々と制裁を発動させ、妥協を許さないことが肝要だ。国民がこれをあと押ししている。真の日韓の未来のために絶対に「妥協」という名の「早期解決」はしてはならない。

カテゴリ: 国際

日本は毅然と「対韓制裁」を実施せよ

2018.12.29

“徴用工判決”につづく火器管制レーダー照射事件は、韓国がいかに「異常な国」であるかを物語っていて、興味深い。

言うことが、二転三転するのは、慰安婦問題をはじめとする歴史問題とやらでも繰り返されてきたことであり、「ああ、いつものことだ」と言うしかない。

おかしいのは、韓国の主張がいつも「自分の首を絞めるもの」であることだ。韓国人がコロコロ見解を変えるのは慣れているし、前言を翻したり、約束を破るのが、彼らの常套手段だ。だが、それによって、自分自身がどんどん追い込まれていくのである。

しかし、今回の日本側の対応には、さすがの韓国も驚いただろう。なぜなら、日本側がその韓国の言い分を認めず、これまでではあり得ないような“毅然とした対応”をとってきたからだ。これまでの対韓政策は、日本の「自虐外交」によって展開されてきたので、それに慣れ切っていた韓国の仰天ぶりは想像がつく。

韓国は、強い国には従い、弱い国には居丈高になる国である。半島国家の特徴と言える。日本に対してとるような態度は、決して中国やアメリカにはとらない。

「日本には何を言っても大丈夫だ」と韓国はタカを括っている。なぜなら、日本には、韓国の味方をし、自国の政権を責め立てる朝日新聞に代表されるような不思議なメディアが目白押しだし、利権に味をしめた政治家たちも、日韓の関係が険悪になりそうになれば、たちまち「まあまあ」と仲介の労をとってくるからだ。

誤報から始まった「教科書問題」や「慰安婦問題」でも、日本は、自分たちで「勝手に謝り、勝手に譲歩」してきた。そんな日本に慣れ切った韓国は、「日本には強く出ればそれでいい」と思い込んでいたのである。いわゆる“徴用工判決”でも、それが背景にあった。

そんな学習を長年にわたって積み重ねてきた韓国は、強く出さえすれば、“反省ザル”のごとく謝ってくる日本が意外にも毅然とした対応をとってきたことに面食らっているのである。

日本の防衛省が自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射の「証拠」として映像の公開に踏み切ったことに、今、韓国は反発している。

国防省の崔賢洙報道官は12月28日、緊急会見を開いて、「日本側は一方的な内容を含んだ映像を公開し、事実関係をごまかした」「防衛省の映像公開に深い憂慮と遺憾を表明する」と言ってのけた。

この期に及んでも、「駆逐艦は正常な救助活動をおこなっていたものである。韓国軍が日本の哨戒機に追跡レーダーを運用しなかったという事実に変わりはない」と主張したのだ。

韓国は、日本に対して「嘘を言いつづければ、必ず事態は自分に有利に展開する」と確信を持っているのである。過去の日本の「自虐外交」と日本国内の「反日メディア」の存在を考えれば、当然だろう。

だが、私はこの事態を、「日本にとってやっとチャンスが訪れた」と認識している。「日本は厄介な国だ。これからは十分、気をつけなければ……」ということを韓国に学習させる絶好の機会が「ついに」訪れたのである。

日本に対しても、「中国やアメリカと同じように接しなければ……」と彼らが考えるようになれば、未来に向かって、新たな日韓関係が生まれる可能性が出てきたのである。

それには、1977年のソウル地下鉄事件から長年にわたって維持されてきた「日韓利権」に首を突っ込む自民党議員たちの動向を監視する必要がある。

政界には、政府に対して韓国への毅然とした対応を促す「日本の領土を守るため行動する議員連盟」(領土議連・新藤義孝会長)の存在がある。同会は、つい12月25日も、竹島に上陸した韓国の国会議員に送った公開質問状が回答もされないまま返送されてきたことを明らかにした。そして、「韓国は情緒に流され、都合の悪いことは隠し、一方的で独善的な行動しかしない」と痛烈な非難の会見をおこなった。

日本の政界には、韓国側に利することしかしない日韓議員連盟と、毅然とした対応を促すこの領土議連が、「併存」している。領土議連の面々は、「韓国をここまでつけ上がらせてきた元凶は、日韓議連にある」と考えており、利権を貪ろうとする同僚議員たちに対して、厳しい批判の目を向ける議員たちが多くなってきた。日本にとって喜ばしいことだと思う。

強く出れば「嘘が通用する」と思い込んでいる韓国に、次にやるべきことは「制裁」である。世界に宣言した上で韓国への独自の制裁に入るのか、それとも、水面下で、あらゆる意味で韓国への便宜を図らないようにするのか、どちらをとるのかは慎重に選択すればいいと思う。

要は、「日本は毅然とした国だ」と韓国に実感させることである。そして、日本国民は、間違っても「日韓通貨スワップ」を復活させるような利権議員とその派閥には、“ポスト安倍”の政権を「つくらせない」ことだ。

私たちは、日韓の関係をいま修復させようと動く議員を「監視」しなければならない。なぜなら、それは日韓の未来にマイナスになるからだ。

いま日韓関係は、真の意味で“チャンス”を迎えている。韓国人に「日本を舐めるのではなく、中国やアメリカと同様、敬意と節度をもって接しなければならない」という思いが生まれてくる可能性があるからだ。

そのためには、次の韓国の出方を待って、「制裁をおこなう」ことである。日韓の真の未来のために、安倍政権は韓国に対して制裁を発動せよ。

カテゴリ: 国際

ついに日韓関係に「チャンス」が到来した

2018.12.01

私は、11月29日、新日鉄住金につづいて三菱重工が、いわゆる“徴用工判決”で敗訴が確定したことに対して、ある意味、大変喜ばしいことだと思っている。今後も敗訴する日本企業は続出する。しかし、それが、なぜ「喜ばしい」のか。

これほどの理不尽、これほどの非常識な扱いを受けても、それでもまだ現在の日韓関係をつづけようというのが「もはや無理だ」ということが日本人全体で共有できる感覚、常識となった。私は、そのことが「喜ばしい」と思う。

私は、もともと「公館の安寧の妨害と威厳の侵害」を防止することを定めたウィーン条約に違反して、日本大使館前に慰安婦像を設置し、非難の集会をくり返す国と「なぜ、国交が維持されているのか」理解ができなかった。

日本で、そんなウィーン条約に違反するような集会などがおこなわれようとしたら、そもそも警察が取り締まるし、その公館に近づくこと自体を排除するだろう。しかし、韓国政府はそれをやらない。なぜか。「日本には何をやってもいい」と考えているからである。要するに、日本は舐められているし、馬鹿にされているのだ。

2015年12月の日韓合意によって、「慰安婦像の移転に努力する」ことを約束した後も、釜山の日本総領事館前にも慰安婦像が設置され、韓国政府は、これも放置した。日韓間の慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した日本政府と大韓民国政府の合意は、とうに反故にされていた。前述のように「日本を舐めている」のだから、当然である。

さすがに、釜山の日本総領事館前に新たな慰安婦像が建てられた2017年1月、これに抗議して安倍首相は駐韓大使を召喚した。大使召喚は、李明博大統領の竹島上陸に抗議した2012年以来のことだった。

しかし、日本国内では、大使召喚を非難する声が次第に増し、約3か月後の2017年4月、大使は韓国に戻っていったのである。

ここで重要なのは、日本には、韓国に対して「毅然とした対応」をとろうとすると、必ずこれを妨害しようとする勢力が登場することである。正確にいえば、韓国の側に利益をもたらそうとする日本国内の“媚韓勢力”である。

私は、前回、前々回のブログでも記したように、「日韓関係の未来」のために駐韓大使を召喚して大使館を閉鎖し、「日韓断交」に踏み切るべきだと思っている。その背景には、単なる一時的な大使召喚では、韓国に逆に「やれるもんなら、やってみろ」という空気が生まれ、それに日本国内にいる“媚韓勢力”が「いつものように」呼応することがわかっているからだ。

しかし、1965年の日韓請求権協定で互いの請求権は放棄され、韓国政府は「(徴用工等の補償も)自分たちがやるから日本政府は手を出すな」と主張し、最終決着した。そして、それを前提として「日韓基本条約」が結ばれ、韓国は日本から国家予算の倍以上に及ぶ巨額の経済援助を受け取ったのである。

だが、その国交正常化の基本を韓国は、くり返し踏みにじった。それに日本政府が抗議しても、日本国内の媚韓勢力が、必ず、韓国の利益を「代弁」して、最後は日本政府を「譲歩」させるのである。

今回の出来事が「喜ばしい」のは、そんな人のいい日本人も、ついにこれらの過去を反省し、これ以上の韓国との「国交維持が難しい」ことを理解した点にある。

今から36年前の1982年6月に勃発した教科書検定誤報事件、そしてその3年後の中曽根首相の靖国公式参拝、さらにその6年後の朝日新聞の慰安婦誤報事件……等々で、「歴史問題さえ持ち出せば、日本国内にいる親韓勢力が呼応して、日本はどうにでもできる」という学習が韓国では、すでに骨に徹している。

日本政府は今回、「日韓の友好関係の法的基盤が根本から覆された。断じて受け入れられず、適切な措置が講じられない場合は、国際裁判や対抗措置をおこなう」という強い遺憾の表明をした。その上で、駐日韓国大使を呼び抗議したが、韓国も同じように駐韓日本大使を外務省に呼び、「日本政府が韓国の司法部の判決について過度に反応していることは遺憾だ。自制を求める」と言ってのけた。

強硬なのは、現段階でも、日本より韓国と言える。日本の怒りなど、どこ吹く風で、逆に11月21日、日韓慰安婦合意の根幹だった「和解・癒やし財団」を「どうだ!」とばかりに解散したことでも、それがわかる。韓国政府が財団の解散を訴えていた挺身隊問題対策協議会(挺対協。現在は「正義記憶連帯」)の主張と運動に「全面的に従った」のだ。

日本には何をやってもいい、という韓国の強硬姿勢は、まったく変わっていない。いや、それどころか、「今こそ、憎っくき日本の国際的信用を叩き落とせ!」と勢いづいているのである。

私は、なぜ、これで日韓の国交が維持されているのか、意味がわからない。すでに、彼らの攻撃は「次」の段階に進んでいる。南北の「対日攻撃連帯」である。

11月16日にソウルで開かれた挺隊協の「創立28周年記念シンポジウム」では、南北が連帯を強めることが確認され、今後、北朝鮮に対して「平和の碑」という名の「少女像」を建てることを提案していることも明らかになった。今後、南北が接近すればするほど、北朝鮮では慰安婦問題、徴用工問題が「大きくなっていく」のである。

そんな折に、テレビを観ていたら、私は仰天してしまった。自民党の衆議院議員と、元駐韓大使、そして、韓国人の女性大学教授の3人が出てきて、「韓国の人材は大変優秀なんですよ。これを生かさなければならないというのは間違いない」、あるいは、「日韓の関係が冷え込めば、不利益を被る日本企業が出てくる。それは避けなければならない」、「今は、非難をするのではなく静観する時期」などと、訴えたのである。

この期(ご)に及んでも、まだ、これを言うのか。私は言葉を失ってしまった。逆に、「冷静に」日韓関係を抜本的にやり直すことが「今こそ」必要ではないのか。

残念なことに、野党だけではなく、自民党にも、“媚韓派”は数多い。日韓議連にいる議員の中には、どっぷりと韓国利権に首を突っ込んでいる議員が少なくない。

11月26日に議員会館内で開かれた「韓国の不当判決に抗議する緊急集会」で、韓国の暴走を厳しく糾弾した新藤義孝・元総務大臣のような議員は、むしろ少数だ。

ここにこそ、日本の最大の問題がある。安倍政権であり、その中の河野太郎外務大臣であるからこそ、今のような抗議が韓国に対してできている。しかし、宏池会の岸田文雄氏や石破派の石破茂氏などが、次の政権をとれば、たちまち日韓関係は“媚韓派”によって牛耳られるだろう。

“ポスト安倍”として、じわりと存在感を増してきた河野太郎氏は、まさに「日韓関係の見直し」を旗印にして、国民の支持を集めるべきだろう。

日本にいる「内なる敵」こそ、真の敵であることを、われわれ国民ははっきり意識しなければならない。そのことを教えてくれる“徴用工判決”問題なのである。平和ボケした日本人の目を醒まさせてくれた意味で、私はこの問題を「喜ばしい」と心から思う。

カテゴリ: 国際, 歴史

「日韓断交」の障壁となる“韓国詣で”の日本人たち

2018.11.21

果たして「日韓断交」を阻む人間は誰なのだろうか。私は、そんな思いで、一連の日本人による“韓国詣で”のニュースを見ている。前回のブログにも書いたが、私は、最終的に日本と韓国との間に「真の友好」を築いて欲しい、という願いを持っている人間である。

しかし、その究極の目的のためには、今は逆に「日韓断交」こそ、必要だと考えている。呆れるような理不尽な「要求」や「行動」をくり返す韓国人に、日本人の堪忍袋の緒はとっくに切れている。

だが、それでも韓国人の暴走は止まらない。なぜなら、日本人がそこまで怒っていることを当の韓国の人たちが「知らないから」である。

なぜだろうか。それは、日本人の怒りを伝えなければならない人たちが、逆のメッセージを韓国にもたらしているからだ。真の友好が、お互いの理解なしに成し遂げられることはあり得ない。つまり、お互いがお互いの言い分に耳を貸さなければならないのである。

しかし、韓国の痛烈なメッセージや行動は日本に伝わっているものの、日本の声が韓国に伝わることは、なかなかないのである。本当なら、まず韓国人にも、私たち日本人の思いを知ってもらわなければならない。要するに、「なぜこれほど日本人が怒っているのか」ということを当の韓国の人たちにわかってもらわなければならないはずである。

そのために今、必要なのが「日韓断交」である。真の友好のために「日韓断交」が必要だというのは、一見、矛盾するように映るかもしれない。しかし、韓国に日本の怒り、そして気持ちを伝えるのは、それが不可欠とも言えるのである。

しかも、それは簡単におこなえることだ。日本がソウルに置いている日本大使館を閉鎖し、駐韓大使を召還するだけでいい。

周知のように、日本と台湾の間には、正式な国交がない。しかし、なにも問題なく、民間の交流は続いている。こちらは、日本と台湾の両国国民(※あえて「国民」と書かせていただく)の間に、互いを尊重し合う気持ちがあり、また、双方の好感度も高く、なにも交流に支障はないのだ。

だが、韓国は史実に基づかない日本への批判をくり返すばかりか、世界中でその誤った歴史を喧伝し、日本への糾弾を続けている。慰安婦問題しかり、また、先月末にあった、いわゆる“徴用工判決”もそのひとつだ。

朝鮮半島が日本統治下にあった戦前、日本本土の工場に応募してきた朝鮮人労働者(※そもそも「徴用工」ではない)4人が、新日鉄住金に損害賠償を求め、その上告審判決で韓国大法院は、個人の請求権、つまり、彼らの要求を認めた控訴審判決を支持し、新日鉄住金に賠償を命じたのだ。

つまり、これによって53年前の1965(昭和40)年、日本と韓国双方が「請求権」を放棄した上で、成立させた「日韓基本条約」の根本は“消滅”したのである。つまり、日本と韓国による「国交」の基礎、いや、前提が「消えてなくなった」のだ。

日本人は莫大な財産を朝鮮半島に残していたが、「請求権放棄」、そして「国交正常化」という大義の下に、涙を呑んでこれを放棄した。そして、個人賠償等を韓国政府が日本からの莫大な資金援助の中からおこなうという約束の下、有償無償、官民その他のすべてを含んで、実に日本は、当時の韓国の国家予算の倍以上にあたる計8億ドル(現在の5兆円近い金額)を提供した。

それをもとに韓国が“漢江の奇跡”という驚異の経済成長を実現し、一気に北朝鮮との経済力の差を逆転させたことは周知の通りだ。

だが、今になって「個人の請求権は放棄されていない」と言い出し、日本の企業を訴え、そして、それを韓国の大法院は「認めた」のである。韓国が、もはや日韓関係の「途絶やむなし」ということを通告してきたという見方もできる。

しかし、このことに抗議する日本政府を横目に、“韓国詣で”をおこなって、その障害になる人たちがいる。つまり、日韓の未来のために必要な「真の友好」を阻む人々である。

ここのところ、韓国や日本の新聞で、「今こそ韓国に恩を売るチャンスだ」とばかり、韓国詣でをする政治家たちのことが報道されている。

今回も真っ先に登場したのは、鳩山由紀夫元首相だった。新聞報道によれば、11月16日、京畿道高陽市で開かれた「アジア・太平洋平和繁栄のための国際大会」で鳩山氏は講演をおこなったのだそうだ。

そこで、鳩山氏は、「日本が植民化と戦犯国の歴史的事実を認め、無限に責任を負うべきだ」「日本人は謝罪する心を常に持っていなければならない。韓半島が平和統一のために進むこの時点に韓日関係が良くなるどころか、かえって悪化している状況が残念だ」「日本企業や政府は厳しく受け止めなければならない」……等々と、語ったというのである。

さらに、韓国詣ではつづく。2日後の18日、日韓の政財界関係者でつくる「日韓・韓日協力委員会」の合同総会がソウルで開かれ、中曽根派の重鎮だった渡辺秀央・元郵政大臣らが出席し、記者会見で“徴用工判決”に触れ、「日本政府としての対応を慎重かつ誠実に取れるよう努力していく」と述べたというのだ。

この合同総会には、文在寅大統領が、「われわれは真実と向き合わなければならない。両国が互いを思いやる姿勢で正義と原則を打ち立てるなら、胸襟(きょうきん)を開いた真の友人になれるだろう」というメッセージを寄せたのだそうだ。

これら新聞が伝える数々の情報は、多くの日本人の気持ちを逆撫でするものだろう。渡辺氏は、日本が政府として「慎重かつ誠実な対応」が取れるよう「努力していく」と述べたのだから、韓国がどんな受け止め方をしたかは想像がつく。つまり、日本人の怒りは、ほとんど韓国には伝わっていないのだ。

韓国詣では、政界だけではない。実業界も同じだ。いや、政界より素早い。すでに、11月7日、韓国への投資や誘致を促進する大韓貿易投資振興公社(KOTRA)が開いた「日本就職博覧会」なる韓国人学生を対象にした就職説明会に、日本企業は112社も駆けつけ、大いに韓国の学生たちを「喜ばせた」というのだ。

24歳以下の「若年層失業率」が10%を超える韓国では、就職難は大変な問題だ。そこで日本企業は「大いに貢献している」のである。もし、日本企業が韓国での求人を一斉にやめれば、それだけでも、文在寅政権にとって、大変な打撃になっただろう。

しかし、日本人は、それをしない。つまり、日本には「何をやっても大丈夫」という認識は、ますます韓国人の間で強固になっているのだ。

世界中で慰安婦の強制連行という虚偽の史実を広められ、日本は「拉致・監禁・強姦国家である」という誤った認識が定着しつつある。しかし、日本人は、その韓国のために、いつまでも「馳せ参じる」だけなのである。

私は同じ日本人として、彼らのことが恥ずかしい。商売、つまり利益を度外視して、少しは「誇り」を持て、と言いたい。

11月19日、国連の強制失踪委員会は、対日審査の報告書を公表し、慰安婦問題をめぐって、日本政府に「事実解明」と「責任者の処罰」を勧告した。2015年の日韓合意で、「最終的かつ不可逆的解決を確認した」とする日本の主張は、「補償を求める被害者の権利を否定するものだ」として痛烈に非難されたのだ。

11月5日と6日におこなわれた「対日審査」で、日本は、「調査の結果、軍や官憲による強制連行を確認できるものはなかった」と主張したが、まったく受け入れられなかった。

果たして、当時の「慰安婦募集の新聞広告」や、軍や官憲によって「姓奴隷」として拉致していくことが朝鮮半島でもし横行したのなら、なぜ朝鮮の男たちはそれを甘受したのか、そして、なぜ、その強制連行の証拠が現在に至るまで出てこないのか等、迫力ある主張を日本はおこなったのだろうか。

「軍や官憲による強制連行を確認できるものはなかった」という消極的な主張ではなく、なぜそんなものが「あり得ない」のか、積極的な主張が果たしておこなえたのか、疑問が残る。

政界も、経済界も、いずれも韓国詣でに走る中、つまり、彼(か)の国に舐められている間は、真の友好が築けるはずがない。いや、ますます、真の友好は遠去かるだろう。私が、将来の日本と韓国のために、今は「日韓断交」に踏み出すことを主張する所以である。

カテゴリ: 国際, 歴史

今こそ「日韓断交」の準備を

2018.10.30

予想どおりの結果である。近代国家として「あり得ないこと」が通用するのが、彼(か)の国なので、驚くには及ばない。むしろ、日本がこの国とつき合う態度を決めるために、素晴らしい事実を「また与えてくれた」と歓迎すべきだと、私は思う。

朝鮮半島が日本統治下にあった戦前、日本本土の工場に動員された韓国人の元徴用工4人が、新日鉄住金に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が10月30日、ソウルであった。

韓国大法院(※日本の「最高裁」にあたる)は、個人の請求権、つまり、元徴用工4人の要求を認めた控訴審判決を支持し、新日鉄住金の上告を退けたのだ。

これによって、新日鉄住金に1人あたり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた判決が確定した。韓国政府は、すでに元徴用工が約21万7,000人いるとしているので、仮に今後、元徴用工や遺族が続々と訴訟を起こせば、賠償金の総額は、単純計算しても5,400億円以上になるのである。

もはや、笑うしかないだろう。53年前の昭和40年、あれほどの両国国内の大反対の末に、日本と韓国双方が「請求権」を放棄した上で、ついに成立させた「日韓基本条約」の根本が“消滅”するのである。つまり、日本と韓国による「国交正常化」の前提がなくなるわけで、もはや、日韓関係は「途絶やむなし」ということを韓国が通告してきたことになる。

私は、朝鮮半島に残して来た日本の多くの財産を敢えて請求せず、すべてを「請求権放棄」という名目でお互い納得し、「国交正常化」という大義についたことを評価するひとりだ。

「完全かつ最終的に解決済み」という日韓請求権協定の結論は、やはり、当時の韓国の大統領が朴正熙氏であったことが大きい。それは、満洲国軍軍官学校(第2期)と日本の陸軍士官学校(第57期)で日本式の軍隊教育を受け、旧満州国軍の将校として活動し、「日本には多くの恩師がいる」と言って憚らなかった「朴正熙あってのこと」だった。

朴正熙政権は、これによって国家予算の倍以上にあたる計8億ドル(現在の5兆円近い金額)を日本から得た。朴大統領はこれを主にインフラに投じ、“漢江の奇跡”という驚異の経済成長を成し遂げ、一挙に北朝鮮との経済力の差を逆転させるのである。

しかし、韓国は、その条約をまず司法上で「破棄」した。今後、韓国政府の出方次第で、政府も「破棄するのか、否か」が決まる。

私は、是非、して欲しいと願う。すでに先週の土曜日(27日)未明、韓国検察は、元徴用工らが日本企業を相手取って起こしたこの損害賠償訴訟をめぐり、日韓関係の悪化を懸念した朴槿恵政権の意向に配慮して、訴訟の「進行を遅らせた疑い」があるとして法院行政処の前次長を逮捕している。

当時の大法院長(※日本の「最高裁長官」にあたる)の関与についても現在、検察は捜査を進めており、文在寅政権(青瓦台)の「指示」以外には、ありえない事態が進んでいるのである。

この異常事態に、河野太郎外相は、「国際裁判を含め、あらゆる選択肢を視野に毅然とした対応を講じる」と表明したが、いやいや、そんなことすらする必要もない。

ただ、韓国との外交関係をはじめ、すべてが途絶する準備を始めるだけでいいと思う。いまだに日韓の「通貨スワップ復活」を画策し、経済破綻した際の日本の援助を求める韓国と「国交を断絶すること」は、日本にとっては、痛くも痒くもないことである。

いや、むしろ、本当に日本が韓国との「真の友好」を目指すなら、日本はここで韓国政府が、この司法上の「日韓基本条約破棄」をどう扱うかによって、「断交」への道を選択するべきだろう。

なぜなら、韓国は、強い国には常に「つき従う」国であり、いまの事態は、「日本が舐められている」からこそ、起こっている現象だからだ。

向こうが一度放棄した請求を蘇らせたのなら、日本も韓国国内にある天文学的な数字の日本の当時の財産を「韓国に請求しろ」という議論も一部で巻き起こっていると聞く。しかし、そんな必要もない。ただ、日韓基本条約の根底が覆されたことを理由に、この条約の無効を宣言し、「断交」に向かって淡々と進めばいいのである。

それで日本はなにも困らない。しかし、これは、もはや遅すぎたと言うべきかもしれない。私は、むしろ2005年に「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」(※通称「反日法」)が成立した時から、その準備を進めるべきではないか、と思った。

これは、日本統治時代に「親日」であった人間やその子孫を「親日反民族行為者」として、それが判明した場合、「全財産を没収する」というものだ。これは、文在寅大統領の「師」にあたる盧武鉉氏の政権が押し進めた「過去清算の一環」であり、大統領直属の国家機関として親日反民族行為者財産調査委員会を設置して、その調査・没収をおこなったのだ。

これだけ、「反日」を剥(む)き出しにされて、日本は、なぜ韓国と「平気でつき合いができるのだろうか」と、私は素朴な疑問を抱いてきた。

今年8月14日、韓国では、昨年制定された「慰安婦被害者をたたえる日」の行事が全国で挙行された。各地で関連の記念行事が開かれ、今では史実として「否定」されている日本軍、警察による「強制連行」を世界に向かって韓国が「永遠に喧伝(けんでん)しつづける」ことが私たち日本人に突きつけられた。

文在寅大統領は、元慰安婦49人が眠る韓国忠清南道天安市の国立墓地「国立望郷の丘」で、多くの支援者を前に献花をおこない、黙祷をした。

そして、今回の日韓基本条約の司法上での「事実上の破棄」である。くり返すが、この国と本当に「真の友好」を目指すなら、いま、「断交」に向かって準備をすることが肝要だ。そして、実際に一度、国交を遮断すればいい。

日本人は、本当に怒っている。そのことがわからなければ、彼らはいつまでも日本は「圧力に弱い」と舐(な)め、お互いがお互いを助け合うという「真の友好」は生まれまい。今こそ、そのための第一歩である「日韓断交」の機会が訪れたのである。

カテゴリ: 国際

「新潮45」休刊で失われたのは何か

2018.09.28

一昨日、私は「新潮45」の休刊問題を取り上げて、『国民は“内なる敵”とどう闘うのか』と題して、岡山で講演をさせてもらった。

話をした私自身が驚くほど反響が大きかった。「是非、インターネットでも発信してください」と聴衆の方々から頼まれた。この休刊問題に関して、さまざまな論評が飛び交っているので、前回につづいて、あらためて意見を述べさせていただこうと思う。

まず大切なことは、記事や書籍には、「百人いれば、百人の読み方がある」ということだ。そして、どんな読み方をしようと、その人の自由であり、言論と表現の自由と共に、その思想空間もまた保証されるべきものである、ということだ。

私が、「新潮45」8月号に掲載された杉田美脈氏の『「LGBT」支援の度が過ぎる』という論文を読んだのは、今年の夏、すでに世間の批判が巻き起こってからだった。

タイトルにあるように、この論文は国や自治体、あるいは、マスコミの「LGBT」に対する「支援の度が過ぎてはいないか」と問題提起したものである。

「百人いれば、百人の読み方がある」と言ったとおり、私の読み方はほかの人とは違っているかもしれない。なぜなら、私は日頃から、安倍政権の「少子化」に対する無策ぶりについて“怒り”を持っているからだ。

よく出演させてもらっている読売テレビの「そこまで言って委員会」で、昨年、私は、少子化対策として「子育て支援金」を設け、「国は第1子に百万円、第2子には3百万円、第3子には1千万円を出すべきだ」と主張したことがある。

このまま少子化が続けば、2070年には日本の人口は、「6581万人」に半減することが統計上、明らかになっている。つまり、「少子化の縮小再生産」である。

「未来の日本の姿」として、これをどう受け止めるかは、日本人それぞれによって異なるだろう。私は、これを打破するために日本の最重要課題として、時の政権それぞれが少子化に対して取り組まなければならない、と思っている。

そのために、多くの女性に取材をさせてもらった上で、効果のある少子化対策として前述の「子育て支援金」が必要だと考えた。これを私は、未来の納税者の数を「増やす」という意味で、「納税者倍増計画」と名づけ、講演会その他でも、よく披露させてもらっている。

もちろん、かの池田勇人首相の「所得倍増計画」を意識したネーミングだが、政策としての必要性を考えれば、あの時代の「所得倍増計画」より、はるかに重要な施策だと私は考えている。

しかし、私がこの案を披露したら、番組では「桁(けた)が小さすぎます。第1子には1千万円、第2子には2千万円出すべきです」と竹田恒泰氏から批判を受けてしまった。現実的な施策としては、私の方が正しいとは思うが、要は、それほどのドラスチックな方法でなければ、「納税者倍増」は実現しないということではないか、と思う。

しかし、これほどの長期政権となりながら、安倍政権はアベノミクスによって経済の数字こそ好転させたものの、少子化に対して、あまりに「無策」すぎる。

そんな思いを持っている私は、杉田論文を読んで、「へえ~」と驚いてしまった。杉田氏は、安倍首相の押しで自民党議員として国会に返り咲いた人物であり、その意味では「安倍系列の政治家」だからだ。

その人物が、「LGBTへの支援の度が過ぎていないか」と、強烈に非難している。裏を返せば、少子化に対して、「あまりに無策すぎないか」という意味である。

前述のとおり、「百人いれば、百人の読み方」があり、そして、どんな読み方をしようと、その人の「自由」であり、言論と表現の自由と共に、その「思想空間もまた保証」されるべきものである。

同じ読み方をした人は少ないかもしれないが、「これは、安倍政権の少子化無策に対する猛烈な批判だ」と、私と同じように思った人もいるだろう。もちろん、杉田氏は安倍系列の政治家だけに、そういった直接の文言はない。しかし、少なくとも私にはそう感じられた。

4ページにわたる長文の論文の中で、「差別だ」と非難に晒された箇所で、杉田氏はこう記述している。

〈行政が動くということは税金を使うということです。例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない。つまり、「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要綱を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです〉

周知のように、この部分で杉田氏は猛烈な批判を浴びた。「これはLGBTへの差別だ」と感じる人もいれば、私のように「これは政権や行政機関の少子化無策に対する猛烈な批判だ」と受け取る人もいるだろう。要は、「百人いれば、百人の読み方がある」ということである。

その意味では、「これはLGBTへの差別だ」と感じ、それを批判する人の「自由」もまた認めなければならない。しかし、「百人いれば、百人の読み方がある」ということを理解した上で、言論・表現の自由の一翼を担う出版社には、いうまでもなく、この批判に対して「対処の仕方」がある。いや、出版社としての「使命と責任」がある、と表現した方がいいかもしれない。

それは「筆者と言論空間を守る」という絶対原則だ。しかし、今回、新潮社はその大原則を捨てた。「百人いれば、百人の読み方」があり、そして、どんな読み方をしようと、その人の自由であり、言論と表現の自由と共に、その思想空間もまた保証されるべきものである、という根本への理解と使命を「捨てた」のである。

私は杉田論文を読んで、前述のように杉田氏が、「少子化無策」に対して、あるいは、それへの支援に度が過ぎている行政や、それをアト押しするマスコミに対して激しい怒りを持っている人物だと思ったが、「LGBTへの差別主義者だ」とは思わなかった。

しかし、それは「百人いれば、百人の読み方がある」という通り、私だけの感じ方であり、人に強要するつもりも、同意を求めるつもりもない。それは、私の自由だからだ。言論と表現の自由が守られている日本では、自由闊達にLGBTのことも議論すればいいだけのことである。

だが、「これはLGBTへの差別だ」と声を上げ、その自由な言論空間を圧殺しようとする勢力に、新潮社は「白旗」を掲げてしまった。かつて、どんな圧力にも負けない毅然とした社風を誇った新潮社。その中で思いっきり仕事をさせてもらった私には、「なぜ新潮社はこうも見識を失ったのか」と思うだけである。

前回のブログでも書いたように、非難の風を真っ向から受けることを恐れない新潮社には、多くのエピソードがある。元週刊文春の名物編集長、花田紀凱氏と昨年12月に出した対談本『週刊文春と週刊新潮 闘うメディアの全内幕』(PHP新書)でも、そのうちのいくつかを紹介させてもらった。

1997年、神戸の酒鬼薔薇事件でFOCUSが犯人の少年の顔写真を掲載して新潮社が日本中からバッシングを受け、店頭からFOCUSばかりか、週刊新潮まですべて撤去されたことがある。

児童文学作家の灰谷健次郎氏をはじめ、作家が作品を新潮社から引き上げる騒動に発展し、社内でも、今回と同様、出版部の編集者を中心に「大批判が巻き起こった」ものである。

しかし、その頃の新潮社には、元週刊新潮編集長・山田彦彌氏、元FOCUS編集長・後藤章夫氏という編集出身の両常務がおり、外部の作家に動かされて安っぽい正義感を振りかざす編集者たちを二人が“一喝”して、いささかの揺らぎも外部に見せることはなかった。

言論や表現の自由は、それ自体が民主主義国家の「根本」であり、たとえ反対する人間や政治勢力が大きかろうと、それをどこまでも守らなければならないという「毅然とした姿勢」が会社に貫かれていたのである。

今回、社内で「外部に向かっての謝罪」を要求する編集者たちの突き上げを食らって、役員たちが右往左往し、ついには、「休刊」という恥ずべき手段をとったことに対して、私は、ただただ呆れるだけである。

新潮社の幹部の中には、自分で判断することもできず、外部の執筆者に相談して、「謝罪の上、新潮45を廃刊にするのが適当でしょう」とアドバイスされ、そのことをご丁寧にツイッターで「暴露」までされていた人がいた。

私が気になるのは、新潮社の社員がツイッターで、あるいは、外部のマスコミで、自らを「自分は差別主義者ではない」という安全地帯に置き、「言論・表現の自由」の重さも自覚しないまま、綺麗事(きれいごと)の発信や発言をつづけている人間がいることである。

彼ら新潮社の後輩には、フランスの思想家であり、哲学者だったヴォルテールの以下の言葉の意味を知って欲しいと思う。「僕は君の意見には反対だ。しかし、君がそう主張する権利は、僕が命をかけて守る」

言論・表現の自由がいかに大切かということの本質を、18世紀に生きたこのヴォルテールは語っている。要は、たとえ自分の意見とは違っていても、その人の言論や思想は守らなければならないということであり、それは同時に、既述のように「百人いれば、百人の読み方がある」ということを認める、ということでもある。

言論と表現の自由が守られている日本では、LGBTのことも、今後、自由闊達に議論していけばいいのに、今回の「新潮45休刊事件」は、逆に、LGBTをタブー視するような風潮をつくってしまった。

世の中に対して「超然」としていた新潮社がその矜持(きょうじ)を捨てた今、日本のジャーナリズムが、大いなる危機に立っていることを感じる。

嬉々として今回の事件を論評する新聞の社説や記事を読むと、暗澹(あんたん)とさせられる。しかし、圧力に屈しない毅然としたジャーナリズムの本来の道を、微力ではあるが、これからも進みたいし、守っていきたいと心から願う。

カテゴリ: マスコミ

『新潮45』休刊に異議あり

2018.09.25

9月25日夕刻、『新潮45』の休刊ニュースを聞いて、正直、驚いてしまった。どんな圧力にも屈しなかった新潮社がこれほど脆弱(ぜいじゃく)な会社になってしまったのか、と新潮社OBとして信じられない思いだ。

新潮45は、8月号で自民党の杉田水脈氏の『「LGBT」支援の度が過ぎる』という論文を掲載し、国が「LGBT」支援を意識し過ぎており、少子化への対策その他がおろそかになっている実態を痛烈に告発した。

その中に、同性愛者について「生産性がない」と非難していると誤解される表現があったことから、各方面から批判が巻き起こっていた。

これは、一部の「言葉」や「文章」を引っ張り出して来てそれを論難する、一種の“ストローマン手法”と言える。ツイッター全盛時代の今、論文全体を読むことなく、一部を取り出して非難して騒ぎを拡大していく「炎上」による方法は、一部の勢力が得意とするものである。

新潮45は10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した特集を組んで、これに反撃した。いかにも、世間からの批判を「真っ向から受けて立つ」新潮社らしい編集方針である。

その中には、文芸評論家の小川榮太郎氏が得意の逆説的、かつ皮肉を交えた難解な表現による論文『政治は「生きづらさ」という主観を救えない』が掲載されていた。

これが、さらなる誤解を生んだと言えるだろうが、私は、もっと諧謔(かいぎゃく)的な表現方法で書けばいいのに、と思ったが、それが文芸評論家たる小川氏の持ち味であり、それを「買っている」からこその編集部の執筆依頼だったのだろう。

いずれにしても、賛否両論を巻き起こすことを承知の上での編集だったわけである。しかし、これへの非難に対して、新潮社の社長が9月21日付けで「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」があった、と認める声明を出してしまった。

「社長がなぜ?」――さすがに、これを知って私は絶句してしまった。出版社の社長が、いちいち編集問題について、外部に対して自らの見解を表明することなど、「厳に慎むべきこと」だからだ。やりたければ、「外部」に対してではなく「内部」でやればいいことである。

今から21年前、神戸の酒鬼薔薇事件でFOCUSが少年の顔写真を掲載して新潮社が“総バッシング状態”に陥った時も、児童文学作家の灰谷健次郎氏をはじめ、作家が作品を新潮社から引き上げる騒動に発展したことがある。

だが、新潮社は一貫して「超然」としていた。編集出身の人間が会社を牛耳っており、言論や表現の自由は、それ自体が民主主義国家の「根本」であり、たとえ反対する人間や政治勢力が大きかろうと、それをどこまでも守らなければならない「毅然とした姿勢」が会社を支配していたからだ。

しかし、今の新潮社には、おそらくその“根本”がなくなったのだろう。当時も、今も、社長は同じ佐藤隆信氏なのに、一体、どうなってしまったのか。

これから新潮社社内に「萎縮」という名の絶対にあってはならない空気が蔓延するだろう。それは、圧力をものともしない日本の一方のジャーナリズムの「衰退」をも意味することになる。あまりに残念な事態というほかない。

カテゴリ: マスコミ

石破茂の「厳しい現実」と安倍晋三の「最終戦争」

2018.09.21

安倍晋三総裁の3選が圧勝で決まった。553票対254票というダブルスコア以上の「大差」で、首相の得票「69%」に対し、石破氏は「31%」だった。

それでも昨夜のテレビ報道、そして今朝の新聞紙面は「石破善戦」でほぼ統一された。当初から、いかに石破陣営の“惨敗”が予想されていたかがわかる。

最悪の場合、安倍氏が600票台に乗り、石破氏が200票に届かないとまで言われていただけに、250票超えで、少なくとも「政治生命がつながった」と、石破陣営の安堵ぶりは半端ではない。

インタビューを受ける石破氏の昂揚ぶりは、ダブルスコア以上の大差をつけられた政治家のそれではなく、最後の1週間でいかに追い上げを果たし、「とても無理」と思われていた「250票」を突破したことへの満足感に溢れていた。

なりふり構わぬ応援記事を書いてきた各紙の中でも、朝日新聞は、今朝の1面に〈「1強」のおごりの芽をつめ〉と題して栗原健太郎政治部長が、これまた昂揚感に満ちたオピニオン記事を書いている。

〈問われたのは、「1強」がもたらした政権のゆるみとおごりだった。しかし、歴代最長の通算在任期間をうかがうのにふさわしい信頼を、安倍晋三首相が勝ち得たようには見えない〉

〈多くのハードルが待ち受けるなか、首相が憲法改正を改めて前面に掲げたのは、求心力を保とうとしてのことだろう。だが与党内にもある慎重論を押し切って改憲手続きを強行すれば、国論は二分される〉

〈首相がいま自覚すべきなのは、「1強」が強力になり過ぎ、議員や官僚による忖度やおもねりを生んだことだ。ここでたださなければ弊害は広がるだろう〉

これほどの大差をつけられた石破氏でも、朝日新聞は石破氏の「政治生命がつながった」ことが、よほど嬉しかったのだろう。こちらが恥ずかしくなるほどの興奮ぶりが今朝の紙面からは伝わってきた。

どうしても、自衛隊を「違憲状態」に置いておきたい朝日新聞をはじめとする日本のメディアは、「自衛隊は災害時も、国家の危機が生じた時も、国民のために戦え。しかし、おまえたちは永遠に違憲の存在だ」と言いたいのである。

国際社会の「現実」とも向き合わず、中国や北朝鮮が泣いて喜ぶような「空想的平和主義」を掲げて、朝日新聞は自衛隊を“違憲状態”に置きつづけるのだろうと思う。

私は、前回のブログでも書いたように、憲法改正の中で9条2項を維持した上で自衛隊の存在を明記する“穏健案”の安倍首相に対して、石破氏が2項削除を主張し、国際平和のために集団的自衛権を行使できるようにするという“強硬案”を封印し、9条改正の先延ばしを主張したことが本当に興味深かった。

自衛隊が「国際平和」のために海外で集団的自衛権を行使できるようになるということは、中東で紛争が勃発しようが、南シナ海で戦争が起ころうが、「日本も国際社会の平和と安定のために戦え」というアメリカの要請に応じて「海外での武力行使」に道が開かれることを意味している。

それは、本来、朝日新聞をはじめとするメディアにとっては「許しがたい主張」である。しかし、彼らを味方につけるために、石破氏は今回、長年の主張を引っ込めるという姑息な手段に出た。

私は、政治家としていかがなものかと思う。石破陣営は、来年7月の参議院選を大きなポイントと見ている。参院選での敗北、あるいは、参院選と憲法改正の国民投票が「ダブル」でおこなわれ、憲法改正が「否決」されること――この2点は、そのまま「安倍退陣」に直結するからだ。

その時、今回の総裁選で安倍首相と戦った自分が「次期政権の最有力者となる」と踏んでいるのだ。しかし、石破政権が今後、誕生する可能性は「ほとんどない」ということを、ここで触れておきたい。

今回、自民党議員の82%もの人間が、なぜ「反石破」にまわったのか、その理由をご存じだろうか。それは、石破氏がこれまで歩んできた「歴史」を見れば、極めてわかりやすい。

93年に自民党が下野した時に、さっさと自民党を離党して新進党の結党に参加した石破氏。その後、自民党に戻ってきてからも、汗をかかず、マスコミ相手にパフォーマンスばかりくり返してきた石破氏には、「肝心な時に人を裏切る男」との評価が定着している。

第一次安倍政権でも、麻生政権でも、政権が窮地に陥った時、必ず「退陣しなければ党が崩壊する」と声をあげて政権の足を引っ張ったのは、石破氏だった。

そのやり方は、本来の持論である9条改正案ですら、封印してしまう姑息さにもつながっている。自民党では、「汗をかかず」「肝心な時に人を裏切る人間」が、総理・総裁になることは決してない。なぜなら、自民党内の論理は、これが「すべて」だからだ。

これまでの石破氏のこの政治姿勢には、今や「96人」という最大派閥となっている「清和会(細田派)」、さらには、「60人」という第二派閥の「志公会(麻生派)」が、「絶対、石破だけは許さない」とがっちり連携をとっていることからもわかる。

「反石破」の軸となるこの二つの派閥だけで、計「160人」近い勢力が無条件に形成されるのである。そこに二階派(志帥会44人)や岸田派(宏池会48人)なども、「反石破」では共通しており、同調する派閥・議員は目白押しだ。

わずか20人しかいない派閥の領袖である石破氏は、自民党内で、ここまで「恨みを買う」ような政治姿勢をつづけてきたことを振り返ってみなければなるまい。

今回の総裁選でも、石破陣営の戦い方は、党内に大いなるしこりを残してしまった。「いつの間にか自由にモノが言えない政党になってしまった」「ウソはいけない」「国民に正直に話さなければならない」……等々、あたかも野党がモリ・カケで1年半にわたっておこなってきた“印象操作”と同じことをやってしまった。

最終盤には、斎藤健農水相が「(安倍陣営の議員に)安倍内閣の閣僚なんだから石破を応援するなら辞表を書け、と言われた」という発言までおこなった。私はこれを聞いた時、驚いた。

安倍氏本人がそう言ったのならいざ知らず、一人の議員が言ったとされる言葉を、しかも当事者の実名も明かさず、真偽不明のまま、あたかも「安倍陣営の意思」もしくは、その「総意」であるかのように言ってのけたのである。

将来、斎藤氏が総裁選を争う人間となった時、相手陣営の議員が「斎藤陣営の人間にこんなひどいことを言われた」と会見したら、斎藤氏はどう思うだろうか。「えっ? それで私の陣営そのものが言ったことにされてしまうの?」と、その時、気がつくに違いない。

党員の投票行動に大きなインパクトを与えたこの齋藤発言をはじめ、石破陣営のなりふり構わぬ戦い方は、今回の総裁選を非常に後味の悪い、怨念を引きずるものにしてしまったのである。

一貫して“反安倍キャンペーン”を張ってきたマスコミが「石破善戦」と讃え、次期政権への期待をかけても、前述のように石破氏の政権が誕生する可能性は「ほとんどない」のである。

テレビと新聞に全面支援を受けた石破氏が、終盤、自民党員の間で当初の予想より票を伸ばしたのは事実である。それは、自民党員が、テレビや新聞しか情報源を持たない、いわゆる“情報弱者”によって支えられていることも示している。

安倍首相は、果たして、彼ら“情弱”を説得する術(すべ)を持っているのだろうか。いまだにモリ・カケという実態を伴わない印象操作だけの“疑惑”を、彼ら情弱の人々は抱いている。

9条2項を維持して「侵略戦争」と「集団的自衛権行使」を否定した上で、「自衛隊を違憲状態から解放する」という穏健案を果たして国民に問うことができるのか。安倍首相“最終戦争”のお手並み拝見である。

カテゴリ: 政治

それでも「石破支援」朝日新聞の“怪”

2018.08.28

安倍首相が鹿児島で正式に自民党総裁選への出馬を表明し、石破茂・元幹事長との事実上の一騎打ちが決まった。大勢はすでに定まっているが、私には、マスコミ報道が興味深い。

すでに自民党の国会議員票(405票)の約80%を押さえ、地方票(405票)でも優位に立つ安倍陣営に対して、マスコミは悔しくて仕方がない。両陣営に対して公平に報道しているのは、読売新聞と産経新聞、フジテレビぐらいで、ほかはモリカケ騒動の時と同じく、石破氏に好意的な一方的な報道がつづいている。

昨日(8月27日付)の朝日新聞にも、〈自民党総裁選 首相 論戦から逃げるな〉と題された以下のような社説が掲げられたのでご紹介したい。

〈通常国会の閉会から1カ月。告示まで10日余りというタイミングで、ようやく安倍首相が自民党総裁選への立候補を表明した。ただし、5年8カ月に及ぶ政権運営をどう総括し、新たな3年の任期にどう臨むのか、具体的な政策の発表は先送りされた。拍子抜けである。
 半月前に意思表示した石破茂・元幹事長は、その後、憲法、地方創生など、テーマごとに長時間の記者会見を開くなど、発信を強めている。これに対し、首相側の消極姿勢が際立っている。石破氏との論戦を避けるため、出馬表明をギリギリまで遅らせたとの見方もあるほどだ〉

 朝日は、冒頭から安倍首相が「石破氏との論戦から逃げている」と糾弾した上で、お得意のモリカケに話を展開していく。

〈内政・外交とも論じるべきテーマは多岐にわたるが、首相が引き続き政権を担おうというのであれば、政治や行政への信頼を失墜させた森友・加計学園の問題に、正面から向き合うことが大前提である。
 朝日新聞が今月初めに行った世論調査では、首相は国会で説明責任を果たしていないとの答えが77%にのぼった。党内の多数派工作に成功して、総裁選を乗り切ったとしても、国民の不信が澱(おり)のように残ったままでは、来年夏の参院選などで厳しいしっぺ返しがありうると覚悟すべきだ〉

当ブログで何度も書いてきたように、モリカケ問題の本質とは、「安倍首相が籠池泰典氏のために国有地を8億2千万円も値下げさせて売却した」というのが本当か否か、そして、「加計孝太郎氏のために国家戦略特区をつくって、行政を歪めて獣医学部をつくらせた」ということが真実か否か、というものである。

膨大な国費と時間を使って、延々と野党は国会で印象操作をくり返したが、上記の“疑惑”とやらは、何も証明されなかった。

逆に、財務省の改ざん前公文書によって、鴻池祥肇氏、鳩山邦夫氏、平沼赳夫氏といった政治家たちに近畿財務局への「働きかけ」をおこなってもらっていたことはわかったが、安倍首相の関与は出てこなかった。しかし、自分たちに都合の悪い、そういう情報は彼らは一切、報じなかった。朝日は社説をこう続ける。

〈今のところ首相の視線は、憲法改正の争点化に向いているようだ。今月中旬の講演では「党としての憲法改正案を次の国会に提出できるよう、取りまとめを加速すべきだ」と強調した。ただ、首相は最近まで、改憲は「スケジュールありきではない」と語っていた。安倍1強政治の下で均衡を失った立法府と行政府の関係など、憲法が定める国の統治の仕組みを立て直すことこそが先決だ。石破氏は政策テーマごとの討論会を提案している。論戦を実のあるものにすべく、ぜひ実現してほしい〉

そして、必死に支援する石破氏へも、こんな注文がなされている。

〈一方、気になるのが、石破氏が最近になって、立候補表明時に掲げたキャッチフレーズ「正直、公正」を今後使わない考えを示したことだ。「首相への個人攻撃」という党内の反発に配慮したのだろう。
 首相の政治姿勢に対する批判を、個人攻撃として排除しようとする側に問題があるが、政権の問題点を指摘できないようでは、総裁選に名乗りをあげた意味がない。石破氏にはひるまず首相に論戦を挑んでほしい〉

私は、「へえ~」と思わず声を上げてしまった。ここまで朝日新聞に応援してもらう石破氏の真実の姿をどうしても思い出してしまうのだ。

モリカケ問題でも、石破氏は安倍首相の足を引っ張り続けた。朝日に持ち上げられ、石破氏は、反安倍キャンペーンを続けるメディアの寵児(ちょうじ)だった。だが、いくら追及されても、何も出てこない安倍首相に比べ、石破氏は致命的ともいえる「関与の証拠」を残している。

獣医学部の新設に対して、安倍内閣の地方創生大臣だった石破氏は、「誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にした」と、いわゆる“石破4条件”について自分の同期当選の仲間だった北村直人・日本獣医師政治連盟委員長に語ったことが、当の日本獣医師会の「平成27年度第4回理事会」の会議報告で明らかにされている。

つまり、石破氏は、盟友の北村氏に、そんな獣医師会を支援する言葉を記録され、公開文書にされているのである。ちなみにその石破氏の自民党鳥取県第一選挙区支部には、2012年度に日本獣医師政治連盟から「100万円」の政治献金がなされていた。

「おい、あいつは自分がやっていることがわかっているのか」――そんな声が自民党内に満ちてることを石破氏はご存じなのだろうか。

1993年に自民党が下野した時、さっさと見切りをつけて自民党を離党し、新進党などを経て舞い戻ってきた石破氏には、常に「決して自ら汗をかかず、いつもマスコミ相手にパフォーマンスばかりやり、仮に引き立ててもらっても、平気でそれを裏切る男」という評価がつきまとう。

第1次安倍政権が行き詰まった時、真っ先に「退陣せねば自民党が終わる」と激しく糾弾した石破氏。第2次安倍政権では、安倍首相から2年間も幹事長を任されたのに、安全保障法案の政治決戦の際、防衛大臣兼安全保障担当大臣という重要ポストへの就任を要請されたが、石破氏はこれを拒絶した。

私は、自民党の議員たちが、「肝心な時に人を裏切り、反自民のメディアに乗ってパフォーマンスをくり返してきた男」と切り捨てるのも、さもありなんと思う。

生きざまそのものが問われる政治家として、石破氏は今回の総裁選ほど、これまでの歩みに対する「評価」が身に染みる秋(とき)はないだろう。

それと同時に、憲法改正案の中で9条2項を維持した上で自衛隊の存在を明記する“穏健案”の安倍首相と、2項削除を主張し、国際平和のために集団的自衛権を行使できるようにするという“強硬案”の石破氏――自衛隊が「国際平和」のために海外で集団的自衛権を行使できるようになることは、本来、朝日新聞にとっては「許しがたい主張」のはずである。

しかし、憎っくき安倍首相の敵ならば、日頃の主張などどこかにすっ飛ばしてでも全面支援をおこなう朝日。1か月前の7月29日の社説では、朝日は、安倍首相を「ヒトラー」に譬(たと)えて逆に識者たちから大批判を浴びた。

ユダヤ人虐殺を進めたナチスの宣伝相ゲッペルスや、ユダヤ人を強制収容所に送り込む実務責任者だったナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマン元中佐を引き合いに出しながら、自国の総理を「ヒトラー」と糾弾した社説には、私も言葉を失った。

自民党の総裁選投開票まで、3週間あまり。私は、両候補の論議の中身と共に、日本のメディアの劣化ぶりを冷静に観察していきたいと思う。

カテゴリ: 政治

オウム死刑囚「7人執行」で法務省は「何を隠した」のか

2018.07.06

「慎重にも慎重な検討を重ねたうえで(死刑を)命令した」。7月6日午後0時45分、法務省で記者会見した上川陽子法相は、麻原彰晃をはじめとする7人のオウム死刑囚の刑を執行したことに対して、そう述べた。

私にとっては、驚くべきコメントだった。それは、上川法相が「慎重にも慎重な検討を重ねた」とは、とても思えなかったからだ。7人の中には「事実認定がまだ決着がついていない」死刑囚もいたからである。

“アーナンダ”こと井上嘉浩死刑囚(48)である。私は、会見を聞きながら、「あなたは、ただ法務当局が上げてきた書類に判を捺(お)しただけでしょ?」と呟くしかなかった。

記者会見の冒頭、上川法相は7人の氏名を読み上げ、13におよぶ事件の概要を説明し、「過去に例を見ない、今後二度と起きてはならない凶悪な事件は社会を震撼させ、世界にも衝撃を与えた」「教団は、とめどない暴走を進め、犯行に及んだ」「被害者の苦しみは想像を絶するものがある」と述べた。

おっしゃるとおりである。しかし、その“先”はどうなのか。上川法相は、本当に一人一人に対して「慎重にも慎重な検討を重ねた」というのか。ならば、なぜ「7人」なのか。

井上嘉浩死刑囚は、オウム事件の計「13人」の死刑確定者の中で、一審で「無期懲役」、二審で「死刑」と、唯一、判断が分かれた者である。4年3か月に及んだ一審で、井上弘通裁判長は、彼に「無期懲役」を言い渡している。

井上が、地下鉄サリン事件では「連絡調整役」、あるいは「後方支援」にとどまり、假谷さん拉致事件では「逮捕監禁」にとどまることが一審では認定されていた。

しかし、二審では、新たな証拠も出ないまま、地下鉄サリン事件で井上は「総合調整役」であり、假谷さん拉致事件では「逮捕監禁致死」にあたるとして一審判決を覆し、死刑判決を下したのだ。

一審と二審、果たしてどちらが正しいのか。それはジャーナリズムとしても実に興味深い問題である。私は、一審と二審の判決文を読み比べてみたが、説得力は圧倒的に一審がまさっていた。

最高裁で上告棄却により井上の死刑が確定したあと登場したのが刑事弁護で著名な伊達俊二弁護士(東京第二弁護士会所属)である。伊達弁護士は、裁判員裁判第1号事件を手がけたことでも知られている。

一審と二審の判決文を読み込んだ伊達弁護士は、すぐに二審以降の事実認定がおかしいことに気づいている。そして、井上の弁護人に選任されて、「確定判決の事実認定はおかしい」と再審請求をおこなったのである。

なんということはない。伊達弁護士が気づいたのは、1995年3月1日が「大雪」だったことだ。前日、假谷さんを拉致したオウムは、その日のうちに假谷さんを上九一色村のサティアンに運び込むことに成功する。

井上は、このとき假谷さんを拉致した車に置いてきぼりを食い、遅れて上九一色村に帰ったが、すぐ東京にとって返した。しかし、そこで雪が降り始めるのだ。

検察側の事件の立証は、假谷さんにチオペンタールを打ちつづけた中川智正死刑囚(55)の証言に基づいている。東京にいた井上は、中川から電話を受け、ある信者を上九一色村に連れてくるよう命令されている。

問題は、その電話の時間だ。中川は、「井上に電話をかけにいったのは午前11時前で、その目を離した15分ほどの間に假谷さんが死亡していた」と証言した。假谷さんの偶然の死を強調するために、死亡時間をそう語ったのだ。

しかし、井上の証言は異なる。「中川さんからの電話は午前8時台のもので、だから信者を呼び出して合流し、午後に上九一色村に戻ることができた。ものすごい渋滞だったので中央高速を使わず、東名高速を使って行った」と証言したのだ。もし、午前11時前に電話を受けていたら、とても大雪の中、上九一色村に戻れるはずがなかった。

検察も弁護人も、あの日が「大雪」であり、中央高速道も渋滞で車がほとんど動かなかったことを「見逃して」おり、井上証言のほうが正しかったことが「説得力を持つ可能性」があった。

假谷さん事件は、一貫して午前11時前後の「死亡」であり、それが「中川が井上に電話した時間」をもとに弾き出されていた。しかし、事実については井上の側に分があった。

井上は、サティアンに到着した際、中川から「どうせ(假谷さんを)ポアさせることになると思っていたので、この際、殺害できる薬物の効果を確かめてみようと思った。めったにできることではないので、薬物を打ったら假谷さんが急に光り出して亡くなってしまった」と聞いたことを証言する。一方、中川はこの井上証言を真っ向から否定する。

假谷さんの死は、果たして「逮捕監禁致死」なのか、それとも「殺人」によるものなのか。これは、事件の真相解明のみならず、井上の量刑に大きく影響する問題であり、伊達弁護士は、事実関係を正面から争う再審請求を、当の井上を説得してまで今年3月14日におこなったのである。

この異例の再審請求は、東京高裁を揺り動かした。5月8日には、早くも伊達弁護士が東京高裁に呼び出され、実際に進行協議が始まったのだ。そして、今週の7月3日には二度目の協議がおこなわれた。

二度目の協議では、「ならば、中川と井上との間の交信記録(電話の受発信記録)を今月中に検察に提出させましょう」ということが決まったのである。そして、次回期日は「8月6日」に定められた。

この交信記録が証拠提出されれば、これまで中川証言に拠って立っていた假谷さんの「逮捕監禁致死」が、当の中川の「殺人罪」へと変わっていく可能性も出てきたのだ。だが、それが検察にとって“不都合なもの”であることは言うまでもない。

上川法相によって、井上も中川も両方、死刑が執行されるのは、その高裁での協議のわずか「3日後」のことだ。真相解明への東京高裁の動きは完全に無視され、上川法相は「問答無用」という判を捺したのである。

伊達弁護士はこう語る。「今月公開される交信記録とは、假谷さん事件における中川元信者の証言を覆す重要な証拠でした。しかし、その前にいきなり二人の死刑を同時に執行してしまったために、假谷さん事件の真相が解明されなくなりました」

さらにこの判断の問題点をこう指摘した。「再審請求中の死刑確定者に対する死刑執行は、刑の確定者に対する再審請求権を奪うものであり、また本来、死刑にされなくともよい者までも国家が死に至らせることにもなります。今回の死刑執行は、国際的にも非難は免れません。私は、井上嘉浩氏のご遺族と協議し、今後も再審請求をつづける所存です」

伊達弁護士の「本来、死刑にされなくともよい者までも国家が死に至らせる」という意味をどう考えるべきだろうか。刑事裁判とは、細かな事実認定が「命」であることは言うまでもない。これが蔑(ないがし)ろにされれば、司法への「国民の信頼」が成り立つはずがないからだ。

たしかに井上は、オウム犯罪に数多くかかわっていた。しかし、その一方で「殺人」をことごとく「避けて」いたことが一審で明らかになっている。なぜか井上は、直接、手を下す犯罪からは「逃げている」ことを伊達弁護士は指摘する。

オウム犯罪の死刑執行は当然であろうと思う。だが、事実認定に関する主張がまだつづいているその時に、いや、検察にとって極めて不都合な新証拠が開示されるその時に、有無を言わせず「刑を執行する」のは、果たして法治国家として許されることなのだろうか。

先の会見で上川法相は、記者から井上の再審請求中での執行を問われ、一瞬、戸惑った上でこう答えている。「個々の死刑執行の判断に関わることなので、お答えについては差し控えます」。

さらに上川法相は、こう述べている。「私としては、鏡を磨いて磨いて磨いて磨いて、という心構えで、慎重にも慎重な検討を重ねたうえで死刑執行命令を発しました。判断する上では、さまざまな時代の中のことも、そして、これからのことも、ともに考えながら、慎重の上に慎重に、重ねて申し上げますが、鏡を磨いて、磨いて、磨いて磨き切る気持ちで、判断いたしました」と。

本当に上川法相が「鏡を磨いて、磨いて、磨いて磨き切る気持ち」で死刑執行の判を捺したのなら、この人は法務当局の掌(てのひら)で、ただ“踊るだけの人”なのだろう。

カテゴリ: 事件, 司法

解散「あすの会」が闘い続けた“真の敵”

2018.06.04

私は、昨日6月3日午後1時過ぎから始まった会の一角に座りながら、さまざまな感慨に捉われていた。「あすの会」の解散式(第16回全国犯罪被害者の会=あすの会=最終大会)である。

東京千代田区九段北にあるアルカディア市ヶ谷3階「富士の間」には、上川陽子法相をはじめ、被害者の会のメンバーや一般支援者、そして報道関係者など、数百人が詰めかけていた。

会の冒頭、挨拶に立った上川法相は、自ら「犯罪被害者等基本法」の成立に東奔西走した政治家である。上川法相は、ひとことも言葉を発することができない犯罪被害者のためにいかに「あすの会」が凄まじい闘いを展開したか、そして夫人を犯罪で喪った「あすの会」顧問・岡村勲弁護士の功績がいかに大きかったかを語った。

その岡村勲顧問も挨拶に立ち、この18年間の活動に対する万感胸に迫る思いと共に「あすの会が解散しても被害者問題は終わったわけではない。では、今後は誰が担うのか。それは国であり、国民である」と会場全体に語りかけた。

母親を惨殺されて遺体をバラバラにされ、今も身体の一部しか見つかっていない被害者遺族の女性が「私たち娘は、人間不信に陥り、引きこもりになりました。しかし、(あすの会が創設に努力した)被害者参加制度で救われました」と感謝を述べるなど、登壇した犯罪被害者ご遺族は、あすの会と岡村弁護士への感謝を述べていった。

スピーチを聴きながら、私は今から18年前、この会が発足した時のことを思い出していた。当時、私は、現役の週刊新潮デスクだった。この会ができた時、世の中は「加害者の人権」が“すべて”であり、被害者の権利など“皆無”で、法廷においても遺族の被害感情をわかってもらうだけの単なる「証拠物」としてしか扱われていなかった。

すなわち被害者や遺族は“石ころ同然”だったのである。しかし、この会が発足してから、世の中は猛然と変わっていった。司法の世界だけではない。「世の中」自体が変わっていったのだ。

専門的な司法の分野で言えば、前述の「犯罪被害者等基本法」の成立をはじめとして、犯罪被害者のさまざまな権利や公訴時効の撤廃など、多くの制度を勝ち取っていった。だが、この会が存在した「意義」はそれだけにはとどまらなかった。

マスコミに巣食うエセ・ヒューマニズム、すなわち「偽善」と真っ正面から闘い、そして、それに「勝った」ことである。朝日新聞をはじめとする偽善メディアにとってもまた、当時、人権といえば「加害者の権利」にほかならなかったからだ。

朝日新聞紙面に連載され、書籍化もされた神戸・酒鬼薔薇事件の『暗い森』が代表的だった。彼らにとっては、人権とは加害者である「酒鬼薔薇聖斗」のものであり、殺された土師淳くん(当時11歳)や、その家族のためのものではなかった。

週刊新潮は、淳くんのお父さんである土師守さんの告白手記を掲載し、加害者の権利を過剰に擁護することを「人権」と勘違いしている本末転倒した幼稚なジャーナリズムと闘った。

光市母子殺害事件が起こってからは、遺族の本村洋さんが犯人の少年を「実名告発」した手記も掲載し、「真の人権とは何か」を世に問うた。

全国犯罪被害者の会(のちの「あすの会」)が発足したのは、そんなさなかのことだった。飯田橋の駅に隣接して建つビルの一室でおこなわれた発足の時のシーンは、今も忘れられない。

「犯罪被害者は訴える」と題されたこの発足式でスピーチに立ったのは、まだ23歳に過ぎない光市母子殺害事件の遺族・本村洋さんだった。本村さんは殺された妻・弥生さんと娘・夕夏ちゃん(生後11か月)の遺影を法廷に持って入ろうとして拒絶され騒動になるなど、真の正義を見失った司法に絶望していた。

本村さんは、妻子が遭った事件の悲惨さ、裁判で遺影の持ち込みを拒否された時の屈辱、亡き妻と子への思い……等を滔々と語った。会場は、静まり返り、涙する参加者が相次いだ。

そして、本村さんはスピーチをこう締めくくった。「裁判は加害者に刑罰を与えるだけの場ではありません。被害者が立ち直るためのきっかけとなる場でもあります。われわれの存在を忘れないでほしい。われわれを裁判から遠ざけないでください」と。

毅然とした本村さんの態度に出席者だけでなく、報道陣も心から感動した。私自身もそうである。本村さんや「あすの会」のその後の凄まじい闘いは、あらためて述べるまでもあるまい。

こうして犯罪者だけが「人権」を享受していた時代が次第に崩れていった。私は、2003年には『裁判官が日本を滅ぼす』を、そして、2008年には本村洋さんの苦闘と彼を支えつづけた人々の姿を『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』という本にまとめさせてもらった。

それは、単に「被害者の数」だけで量刑を決める形骸化した刑事裁判、すなわち官僚裁判官との闘いであり、加害者の利益を過剰に擁護することを「人権」だと勘違いした偽善ジャーナリズムとの闘いでもあったのである。

いま真の正義を見失ったジャーナリズムが叩き落とされつつある最大の要因は、もちろん「インターネット」にある。しかし、2000年1月に発足したこの「あすの会」の闘いと、そして、もうひとつ、北朝鮮による拉致被害者を奪還する闘いを展開した「家族会」が果たした役割はとてつもなく大きかったと思う。

あすの会が、そのひとつの役割を終えて、解散した。司会は、光市母子殺害事件遺族のその本村洋さんであり、会の議長を務めたのは假谷さん拉致事件の遺族・假谷実さんだった。

先に書いたように私と出会った時の本村さんは、23歳の青年だった。18年後、本村さんは奇しくも、本村さんと出会った時の私の年齢と同じになった。「ああ、時が経ったなあ……」と思いながら、私は本村さんの司会を見守った。

会が終わって私は、二次会・三次会と、あすの会のメンバーたちと遅くまでこの18年間の闘いについて話し合った。本村さんと土師さんにも「本当にお疲れさまでした」という言葉をかけさせてもらった。

私は、時を一にして「北朝鮮拉致問題」が今、ラストチャンスを迎えていることにより感慨を深くしている。そして、正義はいつかは勝つのだ、と思う。

司法だけでなく、日本のマスコミの「偽善ジャーナリズム」を敵にまわして闘い、正義を実現した人々に深く頭(こうべ)を垂れながら、私自身もその闘いを「今後も引き継がなければ」と誓わずにはいられなかった。

カテゴリ: 事件, 司法

野党とマスコミは「モリ・カケ」を延々とやり続けよ

2018.05.31

昨日5月30日、国会で1年半ぶりに党首討論がおこなわれた。財務省によって先週、明らかにされた森友学園との「交渉記録」をもとに、立憲民主党の枝野幸男代表は、安倍昭恵氏が夫人付きの谷査恵子氏を通じて「財務省側に働きかけた」と追及した。

枝野氏はこう質問した。「金品の流れ等があったのか、なかったか。それはこの問題の本質なのでしょうか。公務員である谷査恵子さんを通じて(昭恵氏は)財務省に問い合わせをかけています。優遇を得られないかと照会があり、問い合わせたのですから、受けられるなら受けたいという働きかけにほかならない。それはいいことだと思っていらっしゃるんですか」

昨年、散々国会で聞いた質問である。これに対して、安倍首相はこう答えた。「いま、すでに枝野さんに言われたことは、もう何回も御党、あるいは他の党の委員の皆様から質問されたことです。(籠池氏から)谷氏に対して手紙が来たわけでございます。それに対して谷氏から、こういう制度がこういう法人に対して当てはめることができないかという、政策的な制度的な答えを求めたのでございます」

これも昨年、国会で何度も耳にした回答である。つまり、安倍首相は、谷氏が財務省に制度的な問い合わせをおこなっただけであって「問題はない」との考えを、昨年と同様、答弁したのである。

やりとりを聞いて、国民はどう思ったのだろうか。溜息を洩らしたのは、私だけだろうか。これだけの膨大な「時間」と国民の貴重な「税金」を費やして、延々と野党とマスコミは、同じ追及を続けてきた。

そのモリ・カケ問題で、こともあろうに野党の代表が「金品の流れ等があったか、なかったか。それはこの問題の本質なのでしょうか」という問いを「いまだに」しているのである。

私は、枝野氏の質問を聞きながら、いつまでも「本質」がわからないなら、永遠に同じ質問をやり続けなさい、と心から思った。好きなだけ「やれ」と。そして、国民の不興を買ったあの18連休のようなボイコットも「是非、やりなさい」と。

これまで何度も書いてきたように、私は、安倍首相が「籠池泰典氏のために国有地を8億2千万円も値下げさせて売却した」のなら、また、「加計孝太郎氏のために国家戦略特区をつくって、行政を歪めて獣医学部をつくらせた」というのが本当なら、即刻、潔く退陣していただきたいと思う。

それがモリ・カケ問題の「本質」であって、それ以上でも以下でもない。しかし、首相が不正に手を染め、行政が歪められたか否かは、「問題の本質ではない」と、野党の代表は言っているのである。

私以外にも「なぜ」「どうしてなのか」と声を上げたい国民は多いだろう。野党とマスコミが、ありもしない疑惑をでっち上げ、常軌を逸したヒステリックな追及をつづけ、公文書が改竄されたり、虚偽の答弁が国会でおこなわれるという「行政組織の劣化」が白日の下に晒された。そして、ついには、近畿財務局の職員の中に「自殺者」という犠牲まで出た。

あまりに本質とかけ離れて“飛び火”していく問題に、テレビと新聞だけを情報源とするいわゆる“情弱”と呼ばれる情報弱者たちは、問題の本質を見失い、怒りをたぎらせ、踊らされてきた。

だが、忘れてはいけない。森友問題のあの豊中市の土地は、「大阪空港騒音訴訟」で揉めに揉めた問題の土地である。大阪空港の航空機侵入路にあたり、今もひっきりなしに飛行機が轟音を立てて、真上を飛ぶ土地だ。

この土地を公園にしようとした豊中市は、国に対して「タダで貸して欲しい」と要請していた。しかし、どうしてもこのいわくつきの土地を手放したい国は「それなら土地を買い取って欲しい」と譲らず、阪神淡路大震災の復興等で資金的余裕がなかった豊中市との交渉が長く平行線を辿った経緯があった。

しかし、民主党政権が誕生して事情が変わった。辻元清美氏が国土交通副大臣の時に「14億円もの補助金」との抱き合わせによって、タダ同然(注=わずか2千万円。実質「98・5%」の値引き)の価格で、豊中市はこれを「手に入れることができた」のである。

籠池氏は、この隣地を安く手に入れて小学校を運営しようと、あの手この手をくり出した。財務省の改竄前文書に出てくるように、鴻池祥肇、鳩山邦夫、平沼赳夫という政治家たちに近畿財務局への「働きかけ」をおこなってもらったのだ。

それだけではない。当時の谷垣禎一自民党幹事長の名前も財務省に対して出している。新たに明らかになった財務省の「交渉記録」では、訴訟をチラつかせながら、近畿財務局に激しく詰めよる籠池夫妻のありさまが生々しく記述されている。

いわくつきのこの土地を手放したいお役人たちにとっても、さすがに、面倒な相手だった。これほど厄介な交渉相手は、なかなかいるものではない。ついには、ゴミ撤去の費用と訴訟を組み合わせた硬軟折りまぜた籠池氏側の交渉によって、隣地の豊中市取得の土地まではいかなかったものの、実に「86%」もの値引きを実現するのである。

野党とマスコミは、これを安倍首相が「籠池氏のために国有地を8億2千万円も値下げさせて売却した」というストーリーをつくり上げて追及したが、その証拠は現在に至るまでどこからも出てこない。

そして、ついに、枝野代表が「金品の流れ等があったのか、なかったか。それはこの問題の本質なのでしょうか」――つまり、安倍首相の不正があったのかなかったのかは、「この問題の本質ではない」とまで言うに至ったのである。

一方の加計問題の論点は、もっと明白だ。このほど出てきた愛媛県の新文書の問題で、2015年2月25日に加計氏と安倍首相が本当に面会していて、獣医学部新設の考えに対して「いいね」と安倍氏が言ったのなら、それを証明して欲しいと思う。

各紙の「首相動静」記事をすべて網羅すると、国会開会中のこの日の首相の動きは分刻みで明らかになっており、「15分」の会談がどこでおこなわれたのか、是非、教えて欲しい。

そして、「首相動静」に何度も前後に登場している加計氏が、なぜ「この日だけ」首相動静に登場していないのか、その合理的な理由を説明して欲しい。まだ獣医学部のことが何も問題になっていないこの時期に、敢えて、そんな「隠密行動」をとらなければならなかった理由を併せて説明して欲しいと思う。

首相が「加計学園のために動いた」のなら、実際にどんな動きをしたのか。国家戦略特区ワーキンググループの八田達夫座長が、首相官邸からの圧力はなかったが、日本獣医師会からの圧力が存在したことを国会で証言しており、もし、「そうではない」というのなら、その根拠を示して欲しいと思う。

そして、当時の地方創生大臣である石破茂氏が「誰がどのような形でも現実的に参入は困難という文言にした」と語っていた、いわゆる「石破4条件」がなぜ安倍内閣によって閣議決定されたのかを教えて欲しい。

この石破氏の言葉は、石破氏とは当選同期の元自民党代議士であり、日本獣医師政治連盟の北村直人委員長によって、「平成27年度日本獣医師会第4回理事会」の会議報告の中で明らかにされたものだ。ちなみに石破氏(自民党鳥取県第一選挙区支部)には、2012年度に日本獣医師政治連盟から「100万円」の政治献金がなされている。

安倍首相がそれほど加計孝太郎氏のために獣医学部を設置させることに熱心だったというのなら、石破氏が「誰がどのような形でも現実的に参入は困難という文言にした」と言ったとされる4条件が「なぜ閣議決定されたのか」私には理解できない。

それは、安倍首相にとっては、愛媛県と今治市の国家戦略特区指定など、そもそも意識すらしないほどの問題に過ぎず、「必要なら指定される」だろうし、「不必要なら指定されない」という程度のことだったからではないのか。

「加計孝太郎氏のために、安倍氏は首相権限を発揮して行政を歪めたのだ」と思うのは、自由だ。しかし、その証拠もないまま、いつまでこんな不毛なことに、国会という国権の最高機関の時間とカネを浪費し続けるのか。

そこで、私は提案したい。証拠もなく、不正を叫ぶことも、「言論が自由」な日本では許される。だから、延々とやりなさい。野党も、マスコミも、延々と「モリ・カケ」をやり続ければいいと思う。

政権サイドも、気にすることはない。延々と答え続ければいい。彼らが気の済むまでやらせればいい。“情弱”以外の国民は、とっくに野党や、それを煽るメディアを見限っているので、いつまでも「やってもらえばいい」のである。

そして、政府与党には、激動する東アジア情勢下で、拉致被害者の即時一括帰国をはじめ、国民の生命・財産、そして国土を守るために精一杯の闘いを展開して欲しい。

モリ・カケを追及する側の野党六党の支持率は減りつづけ、時事通信の調査では、六党合わせてついに「8・2%」(5月調査)にまで落ち込んでいる。できれば、野党六党には国会をボイコットしてもらって、また、どこかに「消えてもらえばいい」と思う。

好きなだけ「寝て」もらえばいいし、また、好きなだけ「叫んで」もらえばいい。それを煽るドリーマー・メディアも、それを続けていけばいいのではないかと思う。

政治的中立を謳った「放送法4条」を無視したテレビの偏向報道も、それでいいのではないのかと思う。安倍首相は「放送法4条」の撤廃を言い始めた。「好きなように偏向報道をやりなさい。そのかわり、テレビ局の特権もなくなります。国民の財産である電波は、きちんとオークションにかけますから」というわけである。

偏向したレベルの低い番組を延々と観させられるのも、“情弱”でない国民にとっては苦痛だ。しかし、いっときの辛抱である。競争原理が働く中で、見応えのある“まともな”番組が、いつかは登場するだろう。

「ドリーマー(夢見る人)」と「リアリスト(現実を見る人)」とのいわゆる“DR戦争”は佳境に入っている。それが端的に出ているのが、昨年来、延々と続くこの“モリ・カケ問題”なのである。私たちは今、産みの苦しみの只中にいる。そんなことを考えながら、私は日本の国会史に汚点として残るだろうこの“モリ・カケ騒動”を見ていこうと思う。

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「軍事行動か、核廃棄か」いよいよ岐路が迫ってきた

2018.04.29

朝鮮半島情勢が、いよいよ正念場を迎えている。1993年以来の北朝鮮に対する国際社会の相次ぐ失策が挽回され、解決するか否か。ついに、そのことが問われる時がやってきたのである。

27日の文在寅大統領との板門店会談で、北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長が核実験場を「5月中に閉鎖」する方針を表明し、米韓の専門家やメディアに公開するため「招待する計画」まで明らかにしていたことがわかった。

さらに、会談の席上、「日本と対話する用意がある」と言明していたことも明らかにされた。29日午前の文在寅―安倍電話会談で伝えられたこれらの“事実”に、思わず私は「ほう」という声をあげてしまった。

5月中か、もしくは6月上旬までにおこなわれるだろう米朝首脳会談、そして、そのあとに予想される日朝首脳会談。いよいよ4半世紀に及ぶ北朝鮮核問題の決着がつくかどうか。私たち日本人の「生命」にかかわる大問題であり、最大の関心を払わざるを得ない。

私は、一連の動きで3つの感慨を抱いている。1つめは、金正恩の評価に対する国際社会の激変について、である。板門店会談の最大のサプライズは、なんといっても金正恩氏が「パラノイア」ではなく、「したたかな戦略家」であることが映像と生の声を通じて世界に認識されたことだろう。

幹部の相次ぐ粛清、叔父・張成沢の処刑、兄・金正男の暗殺、人民への残虐な仕打ち、核とミサイル実験の折々で発してきた常軌を逸した言葉の数々……私たちが知っている多くの現実は、「金正恩はパラノイア(※Paranoia妄想性パーソナリティ障害の一種)」という疑念を深め、実際にアメリカのヘイリー国連大使は昨年、ABCテレビのインタビューで、「彼はパラノイアの状態だ」と明言したこともあるほどだった。

しかし、文在寅大統領とともに、にこやかに笑う金正恩は、パラノイアどころか、実に巧みな「戦術家」「戦略家」であることを世界に示した。たとえ彼の本音が、昨年のクリスマス休暇以来、いつ断行されてもおかしくなかった米軍による“斬首作戦”への怯(おび)えであったとしても、また、石油の禁輸を含む苛烈な国際社会の経済制裁へのギブアップであったとしても、それをおクビにも出さず、堂々と振る舞ったのである。まさに「パラノイア」から、したたかな「戦略家」へと、自身の国際評価を「一変させた」のだ。

2つめの感慨は、北朝鮮による長年の工作活動の成果について、である。中国も北朝鮮も、多数の工作員(スパイ)を動かし、対象国の政界、経済界、マスコミ……等々を操作・誘導する“工作国家”である。その成果が今回の板門店会談で明らかになったのだ。

すなわち、親北政権である文在寅政権を生み、さらには、“北主導”の朝鮮半島統一への第一歩を「踏み出させた」ことである。

私は、現在の韓国を「文・任政権」と呼んでいる。これは、文在寅大統領と、秘書室長を務める任鐘哲(イムジョンソク)の“二人体制”という意味だ。

これまでインテリジェンスの専門家がくり返し指摘してきたように、任鐘哲秘書室長は、北朝鮮のために韓国国内で地下工作活動を長くおこなってきた経歴を持つ人物だ。そして、今に至るも転向宣言をしたこともなければ、過去を反省するコメントを発したこともない。つまり、任氏は、いまも「北のために」動く人物なのである。

今回、板門店でくり広げられた“スムーズな”南北融和の政治ショーを見て、私は任氏の手腕を再認識させられた。二人の首脳が板門店の南北境界線で握手を交わし、平和の家に移動し、ここであらかじめ詰めていた内容の発表をおこなう。

しかも、その発表では具体的な核廃棄の方法や期限は一切示さず、ただ「平和」「対話」「統一」だけを強調するのである。

そして、具体的なものは、時間をかけて“小出し”にし、国際社会を次第に自分の土俵に引き込み、「抱き込んでいく」のだ。すでに4月20日、平壌でおこなわれた朝鮮労働党中央委員会第7期第3回総会で、金正恩はこれまでの経済建設と核戦力建設の「並進路線」を終了させ、社会主義の経済建設に「総力を集中」させることを打ち出している。

つまり、経済発展に向けて金正恩体制は「突き進む」ということである。おそらく中国のように、共産主義下での特殊な「経済発展」を目指し、国力をアップさせることを目論んでいるのだろう。そして、その戦略の中では、日本の巨額の経済支援をアテにしていることは間違いない。

限界まで危機を煽って恐怖心を噴出させ、そのあと、一転してカネを出させるべく態度を軟化、変貌させる。そのしたたかさは、祖父・金日成、父・金正日以上かもしれない。

3つめの感慨は、ここまで北朝鮮を追い詰めることができた国際社会の一致した経済制裁の威力について、である。ついには石油が枯渇し、洋上で「瀬取り」(※船から船へ積み荷を移すこと)までしなければならないほど、北は土俵際に追い込まれた。

ブッシュ大統領が2002年1月、一般教書演説で、北朝鮮、イラン、イラクの3か国を名指しで批判した際、アメリカ人の多くは北朝鮮が「どこにあるのか」さえ知らなかった。

しかし、今は違う。ふつうのアメリカ人が朝鮮半島問題の大きさを知り、金正恩の存在を知っている。そして「この問題は放置してはならない」という認識を大多数のアメリカ人が持っている。

その「変化」の中心で大きな役割を果たしたのは、日本である。北朝鮮の非道を国際社会に訴え、トランプ大統領の尻を叩き、経済制裁を継続させている「安倍外交」がついに事態打開の可能性を生み出したのである。

フジテレビの報道によれば、先週おこなわれた日米首脳会談で、アメリカ側の出席者が「米朝首脳会談が決裂すれば、軍事攻撃に踏み切るしかない」という見解を日本側に伝えていたという。これは極めて大きな意味を持っている。

圧力は最後までかけ続けるという方針は今後も変わらないということである。トランプ―安倍コンビは、来たるべき「米朝首脳会談」が決裂すれば、「即、軍事オプションに入るぞ」という激烈な圧力の方針を確認し合ったということである。

すでに就任前に「3回」も極秘訪朝したというマイク・ポンぺオ国務長官。ジョン・ボルトン大統領補佐官と共に、北朝鮮最強硬派のポンぺオ氏は、「情報機関(すなわちCIA)による核査察」をおこない、「短期間」に廃棄を実現させ、さらには完全なる核廃棄が確認されない限り「見返りはない」という“リビア方式”での核廃棄プランを持って金正恩と交渉していると囁かれている。

すなわち、これが受け入れられなければ、米軍による「軍事オプション発動」の可能性は、実際に高まるのである。脅しというのは、本気であればあるほど、相手の「譲歩が引き出せる」のは世の習いだ。

北朝鮮情勢は今、まさにその段階にある。北朝鮮は核施設を温存させる方法をあの手この手で探るだろう。一方、アメリカはそれを許さず、軍事衛星その他のあらゆる手段を通じて、核施設割り出しを展開している。

そして、この圧力戦略によって、ついに拉致問題での急展開もあり得る情勢となってきたのである。夏までに「日朝首脳会談」まで至るとなれば、最重要課題である拉致問題はもちろん、経済協力という名のもとに北への巨額のODA(政府開発援助)も取り沙汰されることになる。そうなれば、日本得意の“ヒモつきODA”で、商社、ゼネコン、鉄鋼各社も必死の動きを見せるだろう。

日本を射程に収めた北のスカッド、ノドンおよそ1300発の問題をそのままにして、議論は進んでいくのだろうか。それとも「核」だけでなく、そこまで踏み込んだ話し合いに持っていくことができるのか。

あまりに多くの課題があり、これからが日本外交の正念場なのだ。審議拒否をつづけるドリーマー(お花畑)の野党に国会質問などしてもらう必要もないので、野党はいつまでも“審議拒否”をしていればいいだろうと思う。

ここへ来ても、まだ「安全保障法制の廃止」を宣(のたま)う野党党首もいる。政府には、彼ら野党を完全無視の上、国民の生命を守る「賢明な選択」を是非、お願いしたい。

カテゴリ: 北朝鮮, 政治

国民の「命」に対する“真の敵”は誰か

2018.03.29

私は、1年以上つづく「森友騒動」を見ながら、私たち国民の「命」に対する“真の敵”は誰か、ということを考えている。それは、「野党とマスコミではないか」と感じている。

私は、かねて日本が“DR戦争”の真っ只中にある、と指摘してきた。Dとはドリーマー、夢見る人の意味だ。事実を見ずに、観念論で物事を判断する人たちである。Rはリアリスト、いわゆる現実主義者だ。観念論を排し、事実を見て、それをもとに判断する人たちである。

今でも、日本が「左右対立」の時代である、と勘違いしている人がいる。しかし、今どき共産主義や社会主義、すなわち「全体主義国家」を志向する人が日本に多いとは思えない。ただ、昔、そういう方向にシンパシーを感じていた人々は、事実に背を向け、観念論に閉じこもる傾向が強い。だから、彼らは、往々にして「空想的平和主義」に陥る。

一方、リアリストは、あくまで現実を直視する。空想的平和主義には陥らず、現実的平和主義者となる。このリアリストたちを「保守」だと勘違いしている人もいるが、これもまったく間違っている。保守ではなく、現実直視のリアリストなのだ。

すべての世代で最大のリアリストは若年層である。就職、結婚、子育て……等々を「これから」おこなう若者は、いやでも現実主義者とならざるを得ない。彼らは、ネット世代でもある。情報源を新聞やテレビには、決して頼らない。

昨年、早稲田大学政治経済研究所と読売新聞との共同調査で興味深いことが判明した。若者は、新たな挑戦をおこなっている自民党や維新の会を「リベラル」と見ており、旧来の殻をいつまで経っても破れない共産党や公明党のことを「保守」だと見ていることである。

当ブログでも以前、紹介させてもらったが、私は目から鱗(うろこ)の思いで、その記事を読んだ。その意味では、森友問題ほど“DR戦争”を明確に指し示すものはないだろう、と思う。

それは、インターネットの力を見せつけるものでもある。新聞とテレビしか「情報源」を持たない“情報弱者”と、ネットも情報源にする人との事実認識の「乖離(かいり)」を、森友問題ほど明確に示す事例は、なかなかあるものではない。

リアリストは、新聞やテレビが印象操作という名の“ウソ”を報じていることを知っている。ネットの世界では、森友問題の真実はとっくに「明らか」になっており、そのことが「常識」になっているからだ。

多くの専門家の論評や分析を、ネットを通じて目の当たりにしている人たちには、ウソは通じない。森友騒動の真実は、公開された財務省の改竄(かいざん)前公文書でも、あらためて確認されている。それは、なにか。

この案件が、鴻池祥肇氏による「陳情案件」であることだ。改竄前文書には、「本件は、平成25年8月、鴻池祥肇議員(参・自・兵庫)から近畿局への陳情案件」という但し書きがくり返し登場する。

そう、この案件は、一貫して鴻池氏による「陳情案件」なのである。鴻池氏以外にも、鳩山邦夫、平沼赳夫、北川イッセイという三人の政治家が近畿財務局へ働きかけをおこなっていたことも、改竄前文書には詳細に記述されていた。

しかし、安倍夫妻の関与は出てこない。これだけ政治家からの陳情が詳細に記述されていながら、一切、出てこないのである。あくまで、これは鴻池議員による「陳情案件」であり、産経新聞の報道によれば、鴻池事務所の「陳情整理報告書」に、同年9月9日付で鴻池事務所が籠池氏に「小学校用地の件、先週、財務局より、7~8年賃借後の購入でもOKの方向。本省および大阪府と話し合ってくれる」と伝えたことが記載されている。

さまざまな政治家に働きかけて、鴻池氏以外にも、鳩山邦夫、平沼赳夫、北川イッセイという三人の政治家に動いてもらった籠池氏の“熱意”には恐れ入るばかりだ。

改竄前文書に、安倍昭恵氏が出てくる部分も、籠池氏のいい加減さを示すものとして実に興味深い。籠池氏は近畿財務局に、「いい土地ですから、前に進めてください」と昭恵氏から言われた、と伝えていた。

しかし、昨年3月の証人喚問では、籠池氏は、当該の土地を昭恵氏が「いい田んぼができそうですね」と発言した、と証言していた。「いい土地ですから、前に進めてください」と「いい田んぼができそうですね」とは、天と地ほども違う意味を持つ言葉である。

どんなことをしても土地を値切りたい籠池氏が、勝手に人の名前や言葉を都合よく“改竄”して出していたことが文書であらためて浮き彫りになったのだ。野党とマスコミがタッグを組んで、「8億円値下げは安倍首相がやった」と、いくら叫んでも、そんな事実は「出てこない」のである。

改竄前文書には、籠池氏という特異な人物に、いかに近畿財務局が翻弄されたかが出ている。2016年3月に「新たなゴミが出た」と、それまでのゴミとは別のものが出たと言い出し、「開校に間に合わなかったら、損害賠償訴訟を起こす」とまで恫喝されていた事実には、本当に同情する。「1億3400万円」で売却する契約が締結されたのは、その3か月後の「6月20日」のことである。

この土地の特殊性は、くり返し書いてきたことなので、簡単に記す。当該の土地は、「大阪空港騒音訴訟」の現場であり、どうしても国が手放したかった土地である。伊丹空港の航空進入路の真下で、騒音は大きく、また建物には高さ制限もついているといういわくつきの土地だ。

国は、やっと現われた“買い主”を逃したくなかったし、前述のように鴻池議員「陳情案件」であり、さらに鳩山、平沼、北川という都合4人の政治家が絡んだ案件でもあった。

いま「野田中央公園」になっている隣地は、国が補助金をぶち込んで、実質98・5%もの値下げになっていることでも、この土地の特殊性がわかる。どうしても手放したい国は、買い主に対してあらゆる利便をはかっているのだ。

しかし、そんな事情をすべて知っていながら、新聞やテレビは一切、これを書かないし、伝えない。あり得ない「安倍首相の関与」を1年以上、叫びつづけ、まだ「新たな証人喚問が必要だ」と世論を必死に誘導しているのである。

昨日、たまたまテレビをつけたら、「“アッキード事件”では、まだ籠池さんしか出てきていない。自民党の皆さん、真相究明にはこれからガンガン証人を呼ばないといけないので、逃げないでほしい」と叫んでいる野党議員の声が聞こえてきた。

アッキード事件? 言いも言ったりである。そして、今朝(3月29日)の朝日新聞の記事を見て、私はますます驚いてしまった。

〈日本 置き去り懸念〉と題して、金正恩の想定外の訪中で、日本政府内に「日本だけが取り残されるのではないか」という懸念が浮上していることを報じているのだ。「おいおい、あなたが原因でしょ」とツッコミを入れたい向きは多かったのではないか。

とっくに真相は明らかになっている森友問題が今もつづき、ついには、財務省の虚偽公文書作成事件という思いもかけない事件に発展した。連日の野党からの攻撃で、当時、心身ともに疲労困憊であったことを佐川宣寿・前理財局長は証人喚問で証言した。

そんな中で、あの改竄事件は生じた。佐川局長の指示によるものなのか、それとも、佐川局長の国会答弁を見て、慌てて近畿財務局が改竄したのかは、捜査当局による真相解明を待ちたい。

すでに麻生財務相は、G20財務省・中央銀行総裁会議の欠席を余儀なくされた。安倍首相も、国会対応に大わらわで、ティラーソン国務長官やマクマスター大統領補佐官を解任した“裸の王様”トランプ大統領と共に、金正恩のくり出す作戦に、後手にまわらざるを得なくなっている。

いつも書いていることだが、私は「籠池氏のために、安倍首相が国有財産を8億円も値下げさせた」のが本当なら、一刻も早く総理を辞職して欲しいし、議員も辞めていただきたい。

そして、野党とマスコミには、そのことが真実なら、一刻も早く証明して欲しい。私も、さまざまな取材をし、資料にも当たり、現地も調査したが、安倍夫妻の関与で「8億円の値下げ」があった可能性は「ゼロである」としか思えなかった。

1年以上かけて、野党とマスコミは、この「鴻池議員陳情案件」を安倍首相、あるいは昭恵夫人による案件だと言いつづけてきたのだから、早く立証して欲しいし、できない場合は、これだけの国費の浪費をおこなった「責任」をとっていただきたい。

金正恩の訪中で、もう「過去のもの」とまで言われていた朝鮮戦争以来の中朝の“血の友誼(ゆうぎ)”が、あらためてクローズアップされた。安倍首相は、今こそ日本人の「命」を守るために、あらゆる行動を取らなければならない。

日本を狙うスカッドとノドン、およそ1300発。米朝首脳会談が決裂したら、アメリカによる軍事オプション発動の可能性は高まる。一方で、米朝首脳会談が決裂しなければ、7月には、安倍―金正恩会談、すなわち「日朝首脳会談」が開かれる可能性は極めて高い。

それは、私たちの「命」を守り、また、長年苦しんできた拉致被害者を帰国させる“ラストチャンス”になるかもしれない。

しかし、野党とマスコミだけは、昨日も、今日も、「新たな証人喚問」を求めている。国民の「命」を蔑(ないがし)ろにして、ありもしない“事実”を追って、印象操作を、いまも野党とマスコミは、つづけているのである。国民は彼らの行動と姿勢を絶対に「忘れてはならない」と思う。

ネットの世界では、「いい加減にしろ!」という意見が満ち溢れている。日本のこの国会とマスコミの有り様を見て、笑っている国はどこだ、と私は思う。

野党もマスコミも胸に手をあてて、よく考えた方がいい。改竄前文書を読んで、事実はあらためて確認できたはずである。それでも、本当に安倍首相があの土地の値下げに「関与」したと思っているのか。私も声を大にして言う。もう「いい加減にしろ」と。

カテゴリ: 北朝鮮, 政治

このままでいいのか「野党」と「マスコミ」

2018.03.26

日本の野党とマスコミはこのままでいいのだろうか。籠池泰典という詐欺で収監されている御仁に、ここまで国政を壟断(ろうだん)され、そして、その籠池氏と大阪拘置所で面会し、彼が語る中身があたかも「真実」であるかのごとく話す野党の面々を見て、私はそう感じている。

いよいよ佐川宣寿・前財務省理財局長の証人喚問がおこなわれる。どこの世界にも、籠池氏のような人間はいる。著名人の名前を出したり、政治家の名前をひけらかしたり、訴訟を起こすことをチラつかせたり、ありとあらゆることをやって、自己の「願望」を実現すべく“ゴリ押し”する人間だ。

日本は今、「クレーマー国家」と化しつつある。たとえば教育界を混乱させているモンスター・ペアレントと呼ばれるクレーマーたちや、また、飲食店や小売店で、あれやこれやと文句をつけて、従業員や経営者を困惑させている人間……籠池氏はそんな日本の“代表”とも言える人物である。

資金がショートしたまま、学校を建てようと企てたこの人は、国有地を安く取得するために、自分が近づいていった政治家や著名人の名前を出し、嘘を並べ立てた。

こんな御仁のために「安倍首相が国有財産を8億円も値下げさせた」ということが本当なら、私は一刻も早く「総理の職」を辞して欲しいと思う。

しかし、明らかになった財務省の改竄(かいざん)前の公文書を見ても、安倍夫妻が当該の土地を8億円値下げさせるべく動いたことなど、どこにも出てこない。

いや、それどころか、改竄前の文書には、鴻池祥肇、鳩山邦夫、平沼赳夫、北川イッセイという四人の政治家が近畿財務局へ働きかけをおこなっていたことが記述されていた。

安倍昭恵氏に関しては、籠池氏が近畿財務局に対して、「いい土地ですから、前に進めてください」と言ったと、改竄前の公文書には記述されていた。私は呆れてしまった。1年前の証人喚問(2017年3月23日)で、当の籠池氏は昭恵氏のこのときの発言を「いい田んぼができそうですね」と言ったと証言していたからだ。

国会ではそう証言し、しかし、近畿財務局へは、まったく違うことを言っている。つまり、言うことがコロコロ変わるし、自分に都合よくいくらでも言い換える人物なのである。

しかし、野党は、詐欺罪で収監されているこの人物を、あたかも「真実を語っている」かのようにマスコミとタッグを組んで“持ち上げる”のである。

いったい籠池という人物のデタラメに、国民はいつまでつき合わなければいけないのだろうか。それは、安倍政権を倒すためには、どんなことでもやる日本の野党とマスコミに、いつまで国民はつき合わなければいけないのか、という意味である。

何度も書いてきたように、当該の土地は、かつて、大阪空港騒音訴訟の現場だった。伊丹空港の航空進入路の真下で、騒音は大きく、また建物には高さ制限もつくといういわくつきの物件だ。

国は、やっと現われた“買い主”を逃したくなかったし、四人の政治家が絡んだ政治案件でもあった。いま「野田中央公園」になっている隣地は、国が補助金をぶち込んで、実質98・5%もの値下げになっていることでも、この土地の特殊性がわかる。

そんな土地を「値切る」ために、籠池氏はありとあらゆることをおこなった。名前を利用された人間は数多い。安倍首相もそのひとりだ。では、勝手に名前を使われただけで時の総理は、職を辞さなければならないものなのだろうか。敢えて、なにが狂っているのかと言わせてもらえば、私は「野党」と「マスコミ」であろうと思う。

お隣の韓国では、朴槿恵・前大統領につづいて李明博・元大統領も逮捕された。国のトップ、すなわち大統領を務めた人間が逮捕されていくのが、韓国という国である。

そのニュースは、彼(か)の国が完全な“つるし上げ国家”であり、事実の特定よりも、「国民感情がすべて」であることを示している。そこにあるのは、「ファクト(事実)」の積み上げではなく、「懲らしめ」、あるいは「つるし上げ」といった“感情の優先”にほかならない。

日本の国会でも最近、野党が官僚に対して、ヒアリングと称する“つるし上げ”をやっている場面がニュースによく登場する。それは、絶対に年端もいかない子供たちだけには「見せたくない」ものである。

なぜ、野党の議員たちは、ここまで居丈高になれるのか。なんの権利があって、あれだけの物言いを人に対してできるのか、私には不思議でならない。

あんな態度で責められれば、誰だって公文書を改竄してでも、逃れたくなるだろう。あの公文書改竄の真の原因は「野党の皆さん、あなたたちではないのか」とさえ思う。

野党の皆さんに言いたい。「もう1年以上にわたってこれだけ騒いできたのだから、安倍首相が籠池氏のために8億円の値下げをやってあげたことを一刻も早く証明してください」と。

佐川氏の証人喚問で、官邸が真実を隠蔽するために財務省に公文書を改竄するように指示したというのなら、是非、そのことも証明していただきたい。

そして、できなければ、潔く、「1年間も、こんないい加減な話に膨大な国費を浪費してしまい、申し訳ありませんでした」と、野党ははっきり国民に謝るべきだろう。

激動する2018年は、北朝鮮情勢や、貿易問題、南シナ海問題、少子化問題など、多くの重要案件が目白押しだ。これ以上の国政の停滞が許されないことを、いい加減に自覚していただきたい。

カテゴリ: マスコミ, 政治

私案「憲法九条3項」について

2018.02.09

憲法改正論議が国会で高まってきた。国論を二分する重要な問題だけに、私も関心は大きい。特に、昨年5月3日、安倍首相が憲法九条への“加憲”に言及してから、この論議は一気に具体的な話へと移ってきた感がある。

昨年来、私も講演等で憲法の話をする際に、実際の憲法九条「3項」の私案を紹介させてもらう機会が多くなっている。

私は、長い間、憲法改正には「反対」だった。それは、日本が実際の意味での「集団的自衛権」を行使できることになれば、「中国との交戦」が必然になると思うからだ。憲法を改正した上で、日本は、南シナ海で遠くない将来に勃発するであろう「紛争」に顔を突っ込み、あの“核大国”中国と本当に戦争をするのか、という意味である。

少々、説明が必要だろう。いろいろな見方はあろうが、憲法九条のおかげで、日本は集団的自衛権の発動が禁じられてきた。2015年9月、安全保障関連法が成立した時、「日本は集団的自衛権を獲得した」とマスコミは大批判を展開した。しかし、実際には、これは極めて個別的自衛権に近いものであり、一般的な集団的自衛権とは異なる。

欧州で、自由主義圏の「北大西洋条約機構(NATO)」と共産圏の「ワルシャワ条約機構(WTO)」がお互い集団的自衛権の行使を武器に、「均衡」という名の平和を長く維持してきたことは周知のとおりだ。

加盟国のうち一国でも攻撃を受けたら集団で反撃する――寄らば撃つぞ、の気概は集団的自衛権の根本であり、実際に“抑止力”の面で大きな力を発揮してきた。集団的自衛権とは、このことを言う。一方、2015年に安全保障関連法成立で定められた「武力行使新3要件」とは、以下である。

(1)我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険(筆者注・存立危機事態)があること
(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。

安全保障関連法で新たに生み出された「存立危機事態」と、この武力行使の「新3要件」を見れば、NATOにおける集団的自衛権とは「根本的に異なる」ことがわかる。それは、前述のように極めて「個別的自衛権に近いもの」なのである。

では、具体的に尖閣諸島を守るために動いてくれた米艦が他国に攻撃された場合、どうなるだろうか。アメリカの若者が日本のために血を流しても、肝心の日本が知らぬ顔を決め込めば、その時に日米関係は終わる。それを回避するために、つまり、安全保障の隙間(すきま)を埋めるために上記の規定がつくられ、個別的自衛権に極めて近いかたちでの限定的な集団的自衛権が行使できるようになったのである。

しかし、問題はその「先」である。日本が憲法改正によって、つまり九条の改正によって真の意味での「集団的自衛権を獲得」すれば、どうなるだろうか。アメリカは、東アジアの安定のために日本の力を重視している。つまり、アメリカは、拡大路線で“覇権国家”への道をひた走る中国に対抗するため、NATOと同じ条約機構を西太平洋に構築したくて仕方がない。

これを仮にWPTO(西太平洋条約機構West Pacific Ocean Treaty Organization)とでも名づけよう。NATOが集団的自衛権の「抑止力」により、3度目の世界大戦勃発を長く防いできたように、仮称「WPTO」によって、中国の「膨張を防ぐ」というものだ。

中国が1992年2月、領海法を制定発布し、悪名高い“中国の赤い舌”と呼ばれる九段線を東シナ海、南シナ海に引いてから、東アジアは「悪夢の時代」へと突入した。

日本国固有の領土である尖閣諸島をはじめ、フィリピンからわずか230キロしか離れておらず、同国のEEZ(排他的経済水域)内にあるスカボロー礁や、ベトナム・マレーシア・フィリピンが領有を主張するスプラトリー諸島に至るまで、中国は勝手に「自国の領土である」と国境線を引いたのである。

そして、それらの岩礁を強引に埋め立て、基地建設を進めている。周辺国がすでに“我慢の限界”に達していることは言うまでもない。

スカボロー礁で、中国と、米軍の支援を受けたフィリピンとの紛争が生じたら、憲法九条改正後の日本は一体、どうするのか。本来は、国際秩序を守るために中国と対峙し、堂々と米軍と共にフィリピンを助けなくてはならないだろう。しかし、それは、中国との「戦争勃発」を意味する。

日本は、フィリピンや台湾、ベトナムを見捨てるのか。それは、国際的にも、そして、国内的にも大きな議論となるだろう。しかし、焦土の中から戦後日本がスタートした歴史を考えれば、国民は、憲法九条が変わるとしても、「集団的自衛権」を獲得しないかたちでの改正を選択するのではないかと私は想像する。

2月5日、自民党の石破茂元幹事長は大阪市で講演し、憲法九条改正で2項を維持して、自衛隊の根拠規定を明記する安倍晋三首相の案について「受けがいいかもしれないが、私はそれがあるべき姿とは思わない」と持論を展開している。

時事通信の報道によれば、石破氏はこのとき、「集団的自衛権が認められないから、領土・領空・領海を米国に好きに使わせるのはあるべき独立国の姿ではない」と指摘し、「わが国の独立した体制とは何であるか問うていかねばならない」と語ったという。 

私は、逆に石破氏に聞きたい。ならば、集団的自衛権を完全に獲得・行使するために「2項」を削除し、「中国と戦争をしますか」と。私は、石破氏の論に賛成する国民は「少数である」と思量する。憲法九条の「1、2項」はやはり維持すべきだと私は思う。なぜなら、これは「侵略戦争」に対する規定と解すべきものだからだ。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

この憲法九条の1、2項を「侵略戦争」に対する規定と見なさなければ、日本国民は自分たちの命を守る(自衛する)ことも許されず、いずれかの国が攻めてきた場合、抵抗もできないまま殺されるしかない。そんな国家があるはずもないし、解釈も許されるはずがない。さらに言えば、これでは自衛隊も「違憲」の存在でしかないのである。

自国を守るための戦争以外は絶対に行わない。「ただし、自衛隊によって、日本は自衛権を有し、国の独立は永遠に守り抜く」――そのことを九条に書き加え、自衛隊を完全に「合憲」とする。そのための九条「3項」は以下のとおりだ。

「ただし、日本国民の生命・財産および国土を守るために、自衛力の保有は妨げられない。自衛隊によって、わが国に対するいかなる国の侵略も干渉も許さず、日本は永遠に独立を保持することを宣言する」

前記1、2項にこの3項を続けて読んでいただきたく思う。1、2項で、「侵略戦争」と「集団的自衛権」を否定し、3項で、国民の生命・財産および国土を守るために日本が「自衛権」と「自衛隊」を有していることを明記し、さらには、日本へのいかなる国の「侵略」も「干渉」も許さず、日本が永遠に独立を保持することを宣言するのである。

実質的な集団的自衛権を否定したままであることに、反対の人は多いと思う。しかし、私は、少なくとも、石破氏の言う「2項」を削除した上での改正案が、国民投票で「50パーセント以上」の支持を得られるとは、とても考えられない。

昨年来、私は講演等で、このシンプルな3項案をことあるごとに話している。国民が考える際の“たたき台”のひとつとして考えていただきたく思う。憲法の条項とは、誤解さえ生じないものであれば、シンプルなものがいい。

石破氏が唱えるような「2項削除」による改正ではなく、日本が「侵略戦争」と「集団的自衛権」を否定した上で、「自衛権」と「自衛隊」を有し、いかなる国からの「侵略」も「干渉」も許さないことを明確にすれば、それで十分だと思う。広く、ご批判、ご感想をいただきたく思う。

カテゴリ: 司法, 政治

文在寅が勝利し、安倍首相は敗れ去った

2018.01.25

文在寅大統領が勝利し、安倍首相は敗れた――。これが「すべて」である。政治とは結果がすべてなので、そのことを記しておきたい。

私は、前回のブログで過去の日本の外交姿勢を示して、「なぜ安倍首相は平昌に行ってはならないのか」を書いた。しかし、昨日、大報道されたように安倍首相は「平昌に行く」のだそうだ。

私は「残念」というより、「呆れて」いる。安倍首相本人に対してもそうだが、そこへ持っていった与党の人間や日韓議連の面々に対して、である。

平昌冬季オリンピックの開会式で、にこにこと手を振る安倍首相の姿が、世界中の人々の目に飛び込んでくるのである。「踏まれても 蹴られても ついていきます 下駄の雪」という通り、驚くべき日本の姿が世界に示されるのだ。

これは、安倍首相にとって、いや、日本にとっても“致命的なもの”になるだろう。なぜか。それは、「日本が訴えてきた“北朝鮮への圧力”というのは、この程度のものだったのか」ということを国際社会が「認識」するからである。

鈴木大地・スポーツ庁長官のみならず、一国の首相まで出向くということは、外交の世界では何を表わすのか。

韓国が、窮地に立つ北朝鮮を助けるためにオリンピックを利用して「対話路線」へと大転換をおこなったことは、世界中が知っている。「平昌五輪は、実は平壌五輪ではないのか」と、文在寅大統領のやり方に国際社会が唖然としたのだ。

国連で制裁決議をくり返しおこない、経済的に追い詰めるという国際社会の一致した圧力攻勢によって、ついに北朝鮮はどうしようもなくなってきた。その折も折、当の韓国がこれを一方的に「破棄」したのだ。

これこそ、北朝鮮が延々と韓国の国内工作を展開し、左派の文在寅政権を誕生させた成果と言える。問題は、そのオリンピックを利用して「対話路線」に転換した韓国へ、それに最も怒るべき安倍首相が、のこのこと出掛けていくことである。

「ああ、こりゃダメだ……」と国際社会が思うことは間違いない。トランプ米大統領の尻を叩き、国際社会を「圧力路線」で牽引(けんいん)してきた安倍首相本人が、北朝鮮との“融和五輪”ともいうべき平昌オリンピックに行くのである。

朝鮮半島の「非核化」への道は、日本国民の「生命」がかかった最大命題である。だからこそ、日本人拉致問題も抱える安倍首相があれだけ東奔西走してきた経緯がある。

しかし、これまで安倍首相が主導してきた国際社会の「圧力&制裁路線」は、開会式に出席してにこにこ笑う安倍首相の姿が国際映像に映し出されたときに「終わる」だろう。なんだ、その程度の「覚悟」だったのか、それなら「対話」でもいいじゃないか、と。

国際社会の厳しい受け止め方もわからないまま安倍首相が平昌五輪開会式に出席するなら、国際的な支持はもちろん、国内の支持率も急落するだろう。

安倍時代の終わりの始まりは、平昌五輪開会式から「スタートする」のである。

カテゴリ: 国際, 政治

なぜ安倍首相は平昌五輪に「行くべきではない」のか

2018.01.22

私は、日々、変わっていく“観測報道”に驚いている。韓国で2月9日に始まる平昌冬季五輪開会式への安倍首相の「出席・欠席」問題である。なぜ、日本はこうなんだろう、と。

安倍首相は、平昌五輪開会式に出席してはならない。国会云々ではない。日本の首相たる安倍晋三氏は、日本国民を代表して毅然と「欠席」しなければならない。

五輪を政治利用するのではない。北朝鮮との共同チーム編成など、五輪を政治利用しているのは韓国である。日本は、きちんと選手団も派遣するので、そんな次元には立っていない。現に日本政府の高官は出席する。だが、将来の韓国との真の友好のためにも、安倍首相は行ってはならないだろう。

今年、安倍首相が「欠席の意向」を固めたことを1面トップでスクープしたのは、1月11日付の産経新聞だった。記事にはこう書かれていた。

〈(安倍首相の欠席の理由は)表向きは1月22日に召集予定の通常国会の日程があるためとするが、慰安婦問題の解決を確認した2015年12月の日韓合意をめぐり、文在寅政権が日本政府に新たな措置を求める姿勢を示したことを受けて判断した〉

つまり、首相は、「最終的、かつ不可逆的な解決」で決着した韓国との慰安婦合意が反故(ほご)にされたことで、平昌五輪開会式への出席を取りやめることを決断したのだ。当然の判断だろう。安倍首相欠席の意味を韓国の国民がどう受け止めるのか、それは韓国側の問題である。

しかし、その首相の決断をさまざまな人々が覆そうとしている。日本という国の不思議さは、そこにある。踏まれても、蹴られても、それを乗り越えて「相手にすり寄る姿勢」である。日本外交の基本は、「どこまでも ついていきます 下駄の雪」という都々逸(どどいつ)に歌われた姿勢に最もあらわれている。

現在の安倍政権を除き、日本は、ひたすら「中国と韓国」の意向に寄り添ってきた。どれだけいわれなき批判を受けようと、国旗を焼かれようと、史実に基づかない非難を受けようと、ただ、黙って「友好」のために口を噤(つぐ)んできた。

中国の場合でいえば、中国が天安門事件(1989年の六・四事件)で世界中から制裁を受け、孤立を深めていたとき、これに「手を差し伸べ」て、「立ち直らせた」のは日本である。

中国は、国際社会からの非難がつづく中、1992年2月に、悪名高きあの「領海法」を一方的に制定し、中国の赤い舌と呼ばれる「九段線」を設定した。

これによって、東シナ海、南シナ海のほとんどの島嶼(とうしょ)を「自国のものである」と言い始めたのだ。もちろん、尖閣諸島(中国名:釣魚島)も、このときから「中国領」とされた。

しかし、日本はこの時、国際社会が唖然とする信じられない行動に出た。当時、駐中国大使だった橋本恕氏が中国の国際的孤立を打破するために精力的に動き、多くの日本の親中派の政治家・官僚を動かし、領海法の制定発布8か月後の1992年10月に、なんと、「天皇訪中」を実現するのである。

当時の宮沢喜一首相、加藤紘一官房長官、小和田恒外務事務次官、橋本恕・駐中国大使の罪は測り知れない。日本の領土である尖閣諸島まで「自分たちのもの」と主張し始めた中国に、いわば国際社会復帰への“お墨付き”を与えたのだ。

中国の民主活動家たち、いや、中国を脱出し、世界中で人権活動をおこなっている中国の人々が、今も「日本だけは許せない」と憤る理由はそこにある。そして、問題は、これによって果たして中国と日本は真の友好関係を結べただろうか、ということである。

「特定アジア」という言葉がある。反日感情が極めて強い中国と韓国、そして北朝鮮を指す言葉である。「特亜三か国」とも言う。特に、中国と韓国は、いずれも慰安婦の「強制連行」という史実に基づかない虚偽をもとに日本と日本人の名誉を貶めつづけている。

「女子挺身隊」を慰安婦と思い込んで報道した朝日新聞と、それを鵜呑みにした韓国の人々が、国家総動員体制下で軍需工場等で働いた14歳以上の「女子挺身隊」を慰安婦と混同し、世界中に「少女像」を建てまくっているのは周知のとおりである。これは「あり得ない喜劇」として、いつか国際社会に認識される日も来るだろう。

しかし、相手がどんなことをやろうと、日本は安倍政権が誕生するまで“微笑外交”をつづけてきた。今回もまた、平昌五輪開会式への安倍首相の「出席」を求める声が政界とマスコミの間に澎湃(ほうはい)と湧き起こっている。

日韓議員連盟という、うわべの「友好」と「利権」に群がった超党派の議員懇談会のメンバーが必死に安倍首相の出席を促しているのである。彼らこそ、韓国との「通貨スワップ」を復活させろという主張をおこなっている元凶でもある。

中国や韓国に日本が毅然とした姿勢を示したことは殆どなく、そのために「日本には強く出ても大丈夫」と舐められ、「真の友好」から逆に遠ざかって来た“愚”が、またくり返されるのだろうか。

そんなことは「二度とくり返さない」、そして、日本は毅然として「是は是、非は非」という姿勢を貫くことを国際社会に示すために、安倍首相は、絶対に「平昌に行ってはならない」のである。

カテゴリ: 国際, 政治

「言論機関の自殺」へと踏み出した朝日新聞

2017.12.27

「はあ?」。思わずそんな素っ頓狂な声をあげてしまった。昨日、文芸評論家の小川榮太郎氏が、朝日新聞から謝罪広告の掲載と計5千万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こされたというニュースを聞いたときである。

日本を代表する言論機関である新聞社が、自社を批判する書籍を発行した人物を名誉毀損で訴えたのだ。「言論」に対して「言論」で闘うのではなく、「言論」には「法廷で」というわけである。

これは、「自分への批判は許さない」という態度を朝日新聞が明確にしたもので、「言論の自由」に対する完全なる否定であることは疑いない。欧米では、この手の裁判は、「スラップ訴訟(Strategic lawsuit against public participation)」として軽蔑される。いわゆる「批判的言論威嚇目的訴訟」である。

大企業など資金豊富な組織体が、一個人を相手取って、威圧、あるいは恫喝といった報復的な目的で起こすものがそれだ。今回は、小川氏個人だけでなく、出版元の飛鳥新社も訴えているから、純粋な「大企業vs個人」ではないが、それに“近いもの”とは言えるだろう。

しかも、朝日新聞は、言論を持たない大企業ではなく、前述のように「言論機関そのもの」である。言論で挑んできた相手に、司法の判断を仰ぐというやり方は、日頃、「言論の自由」に則って、さまざまな報道をおこなっている新聞には、許されざる行為である。

今年10月に出された小川氏の著書『徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(飛鳥新社)は、非常に興味深く読ませてもらった。朝日が5月17日付一面トップで文科省内部文書の「総理の意向」記事で加計問題をブチ上げたとき、そこで使われた文書の写真が黒く「加工」され、朝日にとって“都合の悪い部分”が読めなくなっていたのである。

このことは、私自身も、何度も指摘しているが、これらのほかにも、マスコミの恣意的な報道の数々を当欄の7月30日付でも、詳しく書かせてもらった。小川氏の評論は、細かい分析に基づいており、モリカケ報道に関心がある人間にとって、間違いなく“必読の書”である。

朝日は、この本が「言論の自由の限度を超えている」とコメントして訴訟を正当化しているが、実際に、ベストセラーになっているこの本を読んだ多くの国民は、そう思わないだろう。

私は、朝日新聞の今回の行動は、裁判官との「密接な関係」なくしてはありえないものだったと思う。裁判官と報道機関とは、想像以上に密接な関係にあることをご存じだろうか。

司法記者クラブと裁判官との間には、折々に「懇親会」が持たれており、グラスを片手に、さまざまな問題について、話し合う関係にある。そこで記者は、裁判の進行具合や判決について、感触を得る。なにより「密接な人間関係」を構築していくのである。

有力政治家との日頃の関係によって、新聞社が一等地に政府から破格の値段で土地払い下げを受け、それが今の新聞社の経営を支えていることは広く知られている。朝日新聞などは、大阪の中之島にツインタワーを完成させ、いまや不動産事業で屋台骨を支えようとしているほどである。

司法とも密接な関係を維持してきた朝日新聞は、選択型実務修習先として司法修習生を積極的に受け入れ、裁判官の社会見学や実務研修に対しても、大いに協力してきた歴史がある。

つまり、裁判官にとって、新聞とは「朝日新聞」のことであり、これに敵対する勢力は、イコール自分たちの「敵」でもあるのだ。

私のデビュー作は、『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社)である(※その後、再編集して現在は『新版 裁判官が日本を滅ぼす』WAC)。

その中でも指摘させてもらったが、社会常識に欠け、事実認定力が劣る日本の官僚裁判官たちは、「権威の序列化」が得意な人種だ。特に民事訴訟の場合だが、訴訟の勝敗を「どっちに、より権威があるか」ということをもとに判断する傾向が強い。

「一個人」と「朝日新聞」ということになれば、裁判官はどっちに軍配を上げるか。いうまでもなく朝日新聞である。個別の事情に踏み込まず、「権威の序列化」に基づき、判決を下すからだ。

これらをバックに、朝日新聞が大いに勇気が湧いた判決が、さる10月24日に最高裁であった。朝日新聞のこれまでの慰安婦報道で「知る権利を侵害された」として、千葉県や山梨県に住む28人が朝日新聞社に1人1万円の損害賠償を求めた「慰安婦報道訴訟」で、朝日新聞の勝訴が最高裁第三小法廷(林景一裁判長)で確定したのだ。

3つの団体から起こされている訴訟は、いずれも朝日の勝訴が続いている。私は、当初から裁判官との「密接な関係」と「権威の序列化」をキーワードにして、住民側の訴えは通らないと予想していた。

周知のように、吉田清治証言や女子挺身隊との混同、あるいは証拠なき強制連行など、朝日の慰安婦報道が現在のように世界中に慰安婦像が建ち、「日本=姓奴隷国家」というレッテルを貼られる元になっている。しかし、そのことが、どれほど明白であっても、裁判官と朝日新聞との“岩盤の関係”によって、ハネ返されているのが実情なのである。

「司法に持ち込んだら何とかなる」――言論機関でありながら、朝日新聞はそんなことを考えているのではないだろうか。それが「言論機関としての自殺」であることを社内で説く人間がいないことが朝日新聞の病巣の深さを物語っている。ジャーナリズムの世界にいる人間として、私にはそのことが信じられない。

カテゴリ: マスコミ, 司法

パンダを見るときは「チベット」に思いを馳せたい

2017.12.19

上野動物園のジャイアントパンダの赤ちゃん「シャンシャン」の一般公開が本日から始まった。初日は2時間半という限定された観覧時間で、抽選に当たった1397人が訪れた。1人あたり、およそ「2分」という制限つきの観覧だったそうだ。

私は、1972年10月、日中国交正常化の記念として日本にやってきたランランとカンカンを思い出す。日本中、パンダブームとなったあのとき、上野動物園には、連日、観覧者が殺到した。

日本人の中国への好感度は90%をはるかに超え、今のような、逆に90%の日本人が中国を「好きではない」と答える時代がまさか来るとは思わなかった。

かわいいシャンシャンの姿を見ると、誰もが心を癒される。元気に育って欲しいと思う。しかし、同時に、どうしても複雑な思いがしてくる。私は、パンダの愛くるしい姿をみるときは、必ず「チベット」のことを考えるようにしているからだ。

パンダは希少動物であり、中国にとって貴重な外交手段だった。日本との国交が正常化された45年前、「パンダ外交」という言葉を知った私たちは、最もその影響を受けた国民かもしれないと思う。

しかし、そのパンダ外交は、かつてのものとはまったく異なったものとなっている。友好の証(あかし)として無償譲渡されていたパンダは、1981年から「有料」での“貸し出しビジネス”の対象となった。

2頭で年間1億円のレンタル料である。ひと月およそ「800万円」のレンタル料は、決して安い金額ではない。シャンシャンの両親であるリーリー(12歳)とシンシン(12歳)にも、レンタル料が支払われている。しかも、生まれたシャンシャンは、2歳になったときに中国に返還される契約になっている。

やがてシャンシャンと別れなければならない運命が待っていることに、パンダファンは、胸が張り裂ける思いだろう。

それと共に前述の通り、私は、パンダを見るときに、どうしても「チベット」のことを考えてしまう。もともと、パンダの原種は、チベットや現在のミャンマー、あるいは、ビルマからベトナムといった広範囲に生息していたが、やがて、東チベットを中心とする範囲に生息域が狭まってきた歴史がある。

1949年10月、中華人民共和国は建国と同時に、「外国の帝国主義者の手からチベットを解放する」と宣言した。しかし、そのとき、チベットにいた外国人は、イギリス人宣教師ら、たった「6人」だった。彼らが、チベット人600万人を支配している「帝国主義者」であるはずもなかった。

だが、4万人の人民解放軍は翌50年10月、チベットへの全面侵攻を開始した。チベット軍8000人の抵抗も虚しく、東チベットのチャムドが占領され、51年には、首都・ラサもまた占領された。そして、55年からは、東チベットが青海省と四川省に次々と「組み入れられていく」のである。

パンダにとっては与(あずか)り知らないことだが、中国のチベット侵攻によって、パンダは中国共産党の“所有物”となったのである。

この間、チベットは「SOS」を発しつづけたが、当時の国際社会は、これを助けることができなかった。59年3月には、チベット全体に拡がった民衆の抗議行動に激しい弾圧が加えられ、法王であるダライ・ラマ14世が住むノルブリンカ宮殿にも人民解放軍の砲撃がおこなわれた。

ノルブリンカ宮殿は無残な姿となり、民衆の遺体が積み重なった。しかし、ダライ・ラマ14世は、直前に夜陰にまぎれて宮殿を脱出し、インドへ亡命。世界に向かって中国の非道を訴える活動に入るのである。

ダライ・ラマ14世の亡命生活は、以来58年となり、現在は82歳の高齢となっている。一方、チベットは、寺院、慣習、文化……等々が徹底破壊され、50年代の5度の虐殺事件、あるいは文化大革命期の大弾圧など、悲劇の歴史を歩んでいる。

今もくり返されているチベット人の抗議の焼身自殺などは、中国による弾圧の凄まじさを国際社会に訴えるためであることは、論を俟(ま)たない。

そんなチベットの希少動物がパンダだった。その意味では、パンダの歴史は哀しみに満ちている。前述のように、かつてのパンダの生息域は現在よりも遥かに広かった。しかし、今は四川省などに組み込まれている、もとのチベット東部が主たる生息域となり、やがて、中国の外交手段に使用されていく「運命」を辿るのである。

中国がおこなう「パンダ外交」の意味を知った上で、私たちは、シャンシャンの愛くるしさを見るべきだと思う。少なくとも、ノーベル平和賞受賞者でもあるダライ・ラマ14世が訴える「中国による民族浄化」の実態と、今もつづく「人権弾圧」の歴史に、思いを馳せたいものである。

カテゴリ: チベット, 中国

ここまで白鵬の増長を許したのは誰か

2017.12.01

果たして、ここまで白鵬の増長を許したのは誰なのか。目に余る横綱白鵬の言動を見て、私はそんなことを考えている。それほど読売新聞が昨日スクープした内容は衝撃的だった。

〈日本相撲協会が30日午後に東京・両国国技館で開く理事会で、横綱白鵬関(32)を注意することが分かった。

関係者によると、元横綱日馬富士の暴行問題で28日に八角理事長(元横綱北勝海)が再発防止に向けて講話した際、白鵬関は「貴乃花巡業部長のもとでは冬巡業に参加できない」などと発言し、理事長から力士会などを通して要望するようたしなめられていた。

 相撲協会は、白鵬関が九州場所千秋楽の優勝インタビューで観客に万歳を要求したことなどについても経緯を聞く方針だ。〉

わずか244字に過ぎないこの記事が伝える意味は重い。理事長が今回の事件を受けて再発防止のために力士たちに対して「講話」という名の「訓示」を与えていた際、力士の範を示すべき横綱が、こともあろうに「貴乃花巡業部長のもとでは冬巡業に参加できない」という“ボイコット宣言”をやってのけたというのである。

正直、唖然とした。大相撲も舐められたものだ、と思う。日馬富士引退に至った「事件現場」にいて、これを止めることができなかった本人が、そのことを反省するどころか、開き直って、逆に巡業部長である貴乃花親方を「糾弾した」のだ。すさまじい下剋上である。

しかも、協会トップの八角理事長は、この横綱の反乱に対して「なにを言うか。おまえは自分が言っていることの意味がわかっているのか!」と一喝もせず、「力士会などを通して要望するように」と諭したというのだ。

今回の日馬富士事件の原因がどこにあったのか、この一事をもってその根本が想像できるのではないだろうか。

私は、10年前に起こった時津風部屋の新弟子リンチ死事件(2007年6月)を思い起こす。親方も一緒になって新弟子の少年にリンチを加えて死亡させた出来事は、傷だらけの息子の遺体に不審を抱いた家族が大学病院に解剖を依頼したところから刑事事件へと発展していった。

金属バットで殴り殺された息子の姿は見るも無残なありさまで、「稽古の後に急に亡くなった」という部屋側の説明を鵜呑みにせず、少年の故郷の新潟大学病院に遺体が運び込まれて「初めて明るみに出た」ものだった。

今回も、貴乃花親方が警察に被害届を出さなければ、事件が隠蔽された可能性は大きい。貴ノ岩がモンゴルの先輩たちに「おまえ、わかっているだろうな」とプレッシャーを受け、さまざまなルートから口封じのためのアプローチを受ければ、「どうなるかわからなかった」からだ。

協会の隠蔽体質を知り尽くす貴乃花親方が、鳥取県警に被害届を出して、「正当な裁き」(貴乃花親方)を求めなければ、事件の真相は明らかにならなかったかもしれない。

白鵬が感じたように「お前(貴乃花親方)がいらんことをしなければ、こんなこと(日馬富士の引退)にはならなかったんだよ」というのは、事件を隠蔽したい側から見れば、当然の怒りだろう。

前回のブログでも指摘したように、今回の出来事は、モンゴル互助会の存在を抜きには語れない。真剣勝負の系譜である貴乃花部屋の力士は、ガチンコ相撲が基本で、そのために貴ノ岩は、モンゴル力士たちがおこなう飲み会に参加することさえ許されていなかった。

鳥取城北高校出身の貴ノ岩が、同校相撲部の総監督が経営するちゃんこ屋でおこなわれた親睦会に顔を出したことが事件の発端だったことは報道されている通りだ。しかし、普段、飲み会にも参加せず、自分たちにガチンコ相撲を挑んでくる貴ノ岩のことを白鵬や日馬富士が気にいらなかったことは容易に想像がつく。

29日の引退記者会見で日馬富士が貴ノ岩への謝罪の言葉を一切、口にしなかったことが私には印象的だった。あの暴行が「礼儀や礼節を知らない」貴ノ岩への指導だったという言い分に私は違和感を感じた。本当にそうなのか、と。

また、モンゴル力士の草分けである元小結の旭鷲山が、貴ノ岩の衝撃的なあの傷口の写真(医療用ホッチキスで9針縫われた写真)を公開しなければ、日馬富士はあのまま引退を決断しなかった可能性もあっただろう。

旭鷲山は、昨日、モンゴルの大統領補佐官の職を解任されたというから、真実を明らかにすることが、いかに勇気が要ることかを教えてくれる。

そんな強固な絆を誇るモンゴル力士たちの“常識”からすれば、今年初場所で、結果的に稀勢の里の「優勝」と「横綱昇進」をアシストすることになる貴ノ岩の白鵬に対する14日目の大金星は「あり得ないこと」だっただろう。

日馬富士の引退会見の席上、自分の指導の至らなさを反省するでもなく、涙を流し、そのうえ、マスコミの気に入らない質問をいちいち封じ込む傲慢な態度を示した伊勢ケ浜親方の姿もまた、私は、今回の事件の本質を暗示していると感じる。

「貴乃花巡業部長のもとでは冬巡業に参加できない」と言ってのけた白鵬をその場で一喝できなかった八角理事長や、弟子を指導できず、貴ノ岩や貴乃花親方への謝罪もなく、恨みに固まった伊勢ケ浜親方と日馬富士師弟の会見での姿は、「ああ、やっぱり……」という失望を多くの相撲ファンにもたらしたのではないだろうか。

そして、増長させるだけ増長させ、何かが起こった時には隠蔽だけを考える相撲協会の体質こそ、こんな事件がくり返される真の原因である気がする。野球賭博から始まって八百長相撲が発覚し、場所自体が中止になったあの痛恨の出来事から、まだ「6年半」しか経っていないのである。

白鵬は、九州場所11日目に嘉風に敗れた際に、「立ち合い不成立」をアピールし、1分以上も土俵に戻らず不服の態度を示し、ファンを呆れさせた。さらに、千秋楽の優勝インタビューで「場所後に真実を話し、膿(うみ)を出し切って、日馬富士関と貴ノ岩関を、再びこの土俵に上げてあげたいと思います」と言ってのけ、万歳三唱までおこなった。

加害者である日馬富士と、被害者である貴ノ岩がなぜ「同列」にされなければならないのか。「膿を出し切る」という「膿」とは何なのか。なぜ、これほど相撲界が窮地に追い込まれている時に「万歳」を観客に促すことができるのか。

私には、巡業ボイコット発言も加えて、白鵬がなぜここまで増長しているのか、ということがわからない。協会はなぜ、ここまで「白鵬の増長を許しているのか」ということだ。

実は、何かあるたびに協会は白鵬に「厳重注意」を与えている。私が知るだけでも、2008年夏場所での勝負が決したあとの朝青龍との睨み合い、2009年夏場所2日前のゴルフ、2011年技量審査場所千秋楽夜に繁華街を歩くTシャツ姿が週刊誌に報じられた件、さらには2016年春場所でダメ押しで相手力士を吹っ飛ばして審判を骨折させた事件など、少なくとも4件はある。

横綱への「厳重注意」とは、それほど「軽い」ものなのだろうか。少なくとも、白鵬は「厳重注意」を何度与えられようが、反省しているようすはまるでない。そして、ついに現役力士の身でありながら、巡業部長への糾弾まで公(おおやけ)の席でやってのけるまでに至ったのである。

一般人への暴行事件で引退を選ばざるを得なかった朝青龍事件の時も、「なぜ師匠は弟子の行動を律することができないのか」「相撲界の師弟関係とはその程度のものか」と思ったものだが、その“やりたい放題”の体質は、まるで変わっていない。

私は、モンゴル勢の相撲が好きである。日本人力士が失ってしまった、あの溢れんばかりの闘志が好きなのだ。それだけに、くり返される不祥事が残念でならない。モンゴル勢を応援して来たファンの一人としても、一連の出来事は無念である。

相撲協会は、興行を主たる事業とする興行主である。収益を挙げなければならないし、さまざまな制約もあるだろう。しかし、同時に日本の伝統の継承という大きな役割を果たすべき公益財団法人でもある。

何度、不祥事を起こしても改まらず、力士に範を示すべき現役の横綱が、公然と反乱の言動をすることができるような「体質」を続けるなら、税金をはじめ、さまざまな優遇措置を有する「公益財団法人」の地位を返上し、私企業として出直すことを強く提言したい。

カテゴリ: 相撲

このまま“モンゴル互助会”問題はウヤムヤになるのか

2017.11.29

日馬富士(33)=伊勢ケ浜部屋=が本日(11月29日)午前、日本相撲協会に引退届を提出し、受理された。巡業中の10月25日に鳥取市内で同じモンゴル出身の幕内貴ノ岩(27)=貴乃花部屋=に暴行したことが明らかになった11月14日から2週間余の決着劇である。

ついに「この日が来た」という思いと、問題の本質である「モンゴル互助会」問題は、結局、ウヤムヤのまま終わるのか、という二つの思いが私の中では交錯している。

27日にあった横綱審議委員会では、協会に対して、日馬富士に厳しい処分をすることを求めており、会見に応じた横綱審議委員会の委員長である北村正任・毎日新聞社名誉顧問が示した厳しい姿勢で、日馬富士もある程度、覚悟はしていただろう。

しかし、決定打になったのは、ついに明らかになった貴ノ岩のケガの状況である。モンゴル力士の草分けである元小結・旭鷲山が昨日公開した貴ノ岩のケガの写真は衝撃的だった。「ああ、これはひどい」「日馬富士もこれではこらえきれまい」―医療用ホッチキスで止められた10針の痛々しい頭部裂傷は多くの人にそう思わせた。

そして、本日、日馬富士はさっそく引退届を提出した。もはや「致しかたなし」というほかない。しかし、同時に「これで事件の本質が隠されてしまうのか」ということが気にかかる。

それこそ「モンゴル互助会問題」にほかならない。事件の詳細が次第に明らかになってきた時、多くの人はこんな疑問を持たなかっただろうか。モンゴル力士の間では、これだけ有無を言わせぬ「上下関係」があって、「果たして本場所でガチンコ相撲をとることは可能なのだろうか」という根本的な疑問である。

なぜ、あそこまで貴乃花親方は頑なだったのか。貴乃花親方は、なぜ、これまで貴ノ岩をモンゴル力士の飲み会に参加させなかったのか、ということだ。

記録を調べてみたら一目瞭然だが、モンゴル力士になって考えてみたら、すぐにわかることがある。たとえば白鵬が優勝街道をひた走っている時、もし、自分が白鵬を破って優勝争いをしている日本人力士を「アシスト」するようなことがあれば、どうなるだろうか。

そんなことが果たして許されるだろうか。飲み会で、携帯電話をいじっていたら、数十発殴られ、頭をなにかで叩かれ、9針も縫うようなケガをさせられるのである。

いや、そもそもガチンコ相撲の貴乃花部屋に所属する貴ノ岩のことを日馬富士や先輩力士たちは、気に入らなかったのではないか。その体質こそが、貴乃花親方の怒りであり、今回の暴行事件で膿を出そうともせず、臭いものに蓋をしようとする相撲協会への貴乃花親方の“ガチンコ相撲”だったのではないか、ということだ。

この問題がここまで大きくなった本質こそ、そこにあるような気がしてならない。八百長相撲が発覚し、場所自体が中止になった2011年春場所から、すでに6年半。また、時津風部屋で親方も一緒になったリンチで新弟子の少年が死亡する事件が発生してから10年余が経つ。

果たして、八百長やリンチは根絶したのだろうか。相撲ファンの一人として、長年、大相撲を見つづけた私は、とても、首を縦にふることはできない。貴乃花部屋には、「10の訓示」がある。その冒頭の二つが以下である。

一、力士道に忠実に向き合い日々の精進努力を絶やさぬ事
二、人の道に外れないよう自身を鍛え勝負に備える事

これは、オールドファンで、二子山勢を知る好角家なら、すぐにわかるものだ。理事長も務めたかつての二子山親方(元横綱若乃花。昭和30年代に“栃若時代”を築いた名横綱)から伝わるガチンコ相撲、すなわち“真剣勝負の系譜”ならではの、いわば二子山勢の「家訓」でもある。

大相撲が、本来の真剣勝負の系譜に戻ることができるのか。日馬富士引退でも幕を引いてはいけない「本質」がそこにある。

カテゴリ: 相撲

日本を襲う悪意に満ちた「虚偽の史実」

2017.11.25

悪意に満ちた「虚偽の史実」に基づいて、日本人が貶められるという不幸な事態が、全世界に広がっている。その勢いは留まるところを知らない。

「してやったり」と、これをほくそ笑んでいる人たちに対して、私は怒りを禁じ得ない。2017年11月24日は、私たち日本人にとって、“あること”を肝に銘じる日にしなければならないと思う。

「姉妹都市の信頼関係は崩壊した」「民間人同士の交流は続けてもらったらいいが、税金は投入しない」―大阪市の吉村洋文市長は24日、そう宣言した。

米サンフランシスコ市が慰安婦像の寄贈受け入れを承認したことを受け、同市との姉妹都市関係を解消することを公表したのである。これによって、大阪市とサンフランシスコ市との実に「60年」にわたる友好関係は「途切れた」のだ。

同じ日、韓国国会の本会議では、毎年「8月14日」を元慰安婦を讃える「法定記念日」とする法案が賛成多数(賛成205、反対0、棄権8)で可決された。

これによって、韓国では来年から8月14日が「日本軍慰安婦被害者を讃える日」になるのだそうだ。韓国では、あの貧困の時代に春を鬻(ひさ)ぐ商売に就いていた女性たちを「国家の英雄」として讃えていくのである。

同法には、「慰安婦問題を国内外に伝え、記憶するための行事をおこなうこと」と、国や自治体に「記念日の趣旨に沿った行事や広報をおこなう努力」が義務づけられている。つまり、これから韓国では、あの虚偽の史実を、国を挙げて流布することが「法的に義務づけられた」のである。

戦後72年。私は、日本を包囲殲滅する意図によって「歴史戦」を仕掛けて来る韓国や中国と、どう戦うかということを国民全員が考えなければならない「時」が来たと思う。

この虚偽を世界にバラまいたのは、周知のとおり、朝日新聞である。同紙は、慰安婦を日本軍、あるいは日本の官憲によって無理やり「強制連行」されたものだと喧伝し、世界中に広めた。同紙の一連の報道によって、韓国の世論は沸騰し、慰安婦強制連行問題は、日本を窮地に追い込む重要な“アイテム”となったのである。

あらためて言うまでもないが、婦女子の強制連行とは、「拉致」「監禁」「強姦」のことである。意思に反して連行されたのなら「拉致」であり、無理やり慰安所に閉じ込められたのなら「監禁」であり、望まない性交渉を強いられたのなら「強姦」だからだ。

それを日本が「国家としておこなった」という虚偽を、朝日新聞は長期にわたって書きつづけた。もちろん、現在、韓国が主張し、世界中に広まっている日本による「従軍慰安婦=性奴隷(sex slaves)」という論拠は、朝日新聞の記事に根ざしている。では、それのどこが「虚偽の史実」なのか、簡単におさらいしておこう。

慰安婦とは、あの貧困の時代に、主に「軍人相手」に性を売っていた女性たちのことである。さまざまな事情で身を売らなければならなかった女性たちは、当時、たくさんいた。今からは考えられないが、国家が「公娼制度」として、そういう商売を認めていた時代のことである。

女性が身を売る場所は、世界中、あらゆるところに存在した。欧米も、アジアも、変わりはない。そんな商売に身を投じ、幸せ薄い生涯を送った女性が多かったことは、歴史に銘記しなければならない「事実」と言える。女性の人権問題として大いに議論していかなければならないだろう。

しかし、朝日新聞が火をつけた「慰安婦問題」とは、先に述べたように日本軍、あるいは官憲が、女性たちを強制的に連行し、無理やり、慰安婦にしていったという「国家の犯罪」である。

自称・山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治の虚偽の証言を検証もないまま長期間、記事にしつづけ(のちに取り消す)、また、1991年8月11日には、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という見出しの下、元慰安婦が「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と報道し、1992年1月11日には、宮沢喜一首相の訪韓に合わせて慰安婦問題を1面トップで報じ、その解説記事の中で、挺身隊の名で強制連行された女性たちの数を「8万とも20万ともいわれる」と記述した。

これらの報道を受けて、韓国の世論は沸騰、「国民学校の生徒まで慰安婦にさせた日帝の蛮行」と報道され、訪韓した宮沢首相が首脳会談で8回も謝罪させられる前代未聞の首脳会談がくり広げられた。

韓国の国民が以後、「女子挺身隊=慰安婦」を信じ込み、その後、あの慰安婦像設置を各地で続け、ついに昨日、慰安婦を讃える法廷記念日の制定にまで至ったのである。

しかし、女子挺身隊とは、戦時中の国家総動員法に基づく勤労奉仕団体のひとつで、主に軍需工場等で働いた女性たちのことである。もとより、慰安婦とは何の関係もなく、そのことは日本では常識だ。

では、慰安婦になったのは、どんな女性たちだったのだろうか。朝鮮の新聞には、当時、大々的に業者による「慰安婦募集」の広告が打たれ、彼女たちは当時の兵隊(上等兵)の給料の30倍という「月収300圓」を保証されて慰安婦となっていった。

今の金額で換算すれば、兵隊の給料を少なめに10万円としても、慰安婦は月給で「300万円」、年収では「3600万円」という途方もない収入だったことになる。慰安婦に多くの女性が殺到したことこそ、史実である。冗談ではなく、当地の方面司令官より慰安婦の方が「給与が高かった」というエピソードは、あちこちから伝わっている。

なかには親に売り飛ばされた女性もいたに違いない。彼女たちの不幸な身の上には、大いに同情しなければならないだろう。しかし、大金と引きかえに、軍を相手に独占的に商売する「P屋」と呼ばれた売春宿で働いた彼女たちは、少なくとも「強制連行」された女性たちではない。

日本軍や官憲が、婦女子を強制連行する必要もなく、また、そうした史実もなく、韓国の国民が思い込んでいる「強制的に慰安婦にさせられた国民学校の女子生徒たち」など、どこにも「存在しなかった」のである。

無理やり日本という国家の「犯罪」にしたかった朝日新聞の記事が韓国の国民に誤解を生じさせ、それを膨らませ、ついには、60年もつづいた姉妹都市も途絶させられるような事態に至ったことに心を痛める人は多いだろう。

2014年8月に慰安婦検証記事を掲げながら、いまだに謝罪も、英字紙への慰安婦取り消し記事や謝罪広告の掲載もおこなわず、虚偽の史実が全世界に広まることを放置しつづける朝日新聞。世界の人々が日本人を誤解し、これから国際社会へ雄飛しようとする若者の大きな障壁になっていることを朝日はどう考えているのか、と思う。

この虚偽をばら撒き、国際社会に対して日本人を貶める行為をおこなった朝日新聞には、同じジャーナリズムの世界に生きる人間として、謝罪を伴った再度の「検証記事」の掲載を求めたいと思う。

慰安婦という薄幸な女性たちが存在したことを忘れず、しかし、日本の一新聞社が、その史実をねじ曲げ、日本の国家・国民に想像もできないような天文学的な額の損害を与えたことを、われわれ日本人は心に銘記しなければならない。

そして、2017年11月24日は、悪意をもった国際的な歴史戦に対して、「史実」をもとに敢然と反論していく日本人の「決意を新たにする日」にしたいと、心から願う。

カテゴリ: 国際, 歴史

若者は「現実政党」しか信じなかった

2017.10.23

なぜ自民党は勝利したのか。あれほどマスコミが「安倍糾弾キャンペーン」をくり広げながら、結果は自民党が単独で絶対安定多数の議席を獲得し、公明党を加えた与党が全議席の「3分の2」を超えるという圧勝で終わった。

安倍政権はこれで、2012年12月に民主党から政権を奪取して以来、国政選挙で実に「5連勝」を記録した。テレビの開票速報を見ているとTBSやテレビ朝日を筆頭に、自民圧勝という事実を前に、悔しくてたまらないキャスターたちの顔が並んだ。それを見ながら、「ああ、相変わらずこのヒトたちは、なんにもわかっちゃいない」と、あらためて思った向きは少なくないだろう。

テレビや新聞だけに情報を頼る、いわゆる“情報弱者”たちを彼らは相手にしている。だが、情報弱者たちの数は、時を経るごとに減っている。つまり、テレビと新聞の影響力は、インターネットの登場以来、「急落」しているのである。そのことを認めたくない既存メディアは、自分たちが「世論を左右している」と未だに思い込んでいるのだ。

テレビや新聞が、確かな情報を真摯(しんし)に国民に伝えつづけていたら、これほどの「影響力の低下」はなかっただろう。しかし、多くの国民がネットで幅広く情報を得ることができるこの時代に、ファクト(事実)に基づかない偏った報道をつづける既存メディアは、さすがに国民に「ソッポを向かれてしまった」のだと思う。

今年、気の遠くなるような時間を費やして国会で延々と取り上げられた森友・加計問題は、典型的なフェイク・ニュースに基づくものだった。あの豊中市の当該の土地は、かつて「大阪空港騒音訴訟」のまさに現場であり、そのため、どうしてもここを売却したくて仕方がない国が、周辺の土地を森友以上に値下げして手放していた事実がネット等では詳しく報じられた。

しかし、安倍政権に有利になるような情報は、テレビや新聞が一切、報じることはなかった。籠池氏と安倍首相が、実は一度も会ったこともなく、あの「お友だちへの国有財産の8億円値下げ」などということが、いかに事実に基づかない“印象操作”によるものだったかは、ネットでくり返し報じられていた。

加計学園問題もひどかった。5月17日付の朝日新聞の一面トップ記事から始まったこの問題は、その記事に出ていた文科省の内部文書なるものの写真が“加工”されていたことが判明するなど、多くの問題点がネット上で指摘された。

具体性もなく、観念論ばかりで、印象操作を必死でおこなったテレビや新聞は、当事者である加戸守行・元愛媛県知事の国会証言も報じず、国家戦略特区諮問委員会のメンバーたちの証言や記者会見もカットした。そんな偏向報道をもとに「モリ・カケ」を延々と問題化してきたマスコミや野党に対して、有権者はとっくに「愛想を尽かしていた」のである。

残念だったのは、“現実政党”になるはずだった小池新党(希望の党)が「第二民進党」となり、現実から「自ら遠去かっていった」ことである。「一院制」やら、「原発ゼロ」やら、思いつきとしか思えない耳ざわりのいい政策を打ち出した末に、財源問題で「企業の内部留保への課税」まで言い出してしまった。

私の周囲には、「こりゃ、だめだ」と思わず笑いだす人もいた。それはそうだ。自分の身に置きかえて考えてみたらいい。所得税も、消費税も負担している自分が、そのうえ、貯金にまで「課税」されたら、どうなるだろうか。そんな二重課税など、常識で考えても許されるはずがない。

こんな政策が罷(まか)り通ったら株式市場は大暴落し、たちまち日本経済はあの民主党政権時代に逆戻りしてしまうだろう。「希望の党も、結局、現実を見ることができない“空想政党”なのか」と、失望した人は多かったに違いない。

一方で、安保法制を「戦争法」と断じ、空想的平和主義、一国平和主義たちの集団である立憲民主党の躍進という意外な結果も見られた。立憲民主党とは、国民の総スカンを食った、あの「菅直人政権」の面々である。彼らに一体、何を期待するのか、と思う。

日本には、かつて55年体制下で「革新票」を投じつづけた一定の層がある。そこに、小池氏によって「排除された人々」という立憲民主党への同情が加わり、予想外の票を集めたのである。

希望の党は、今後、“泥船”から逃げ出し、もとの仲間のもとに走る面々が出ることが予想され、“茨(いばら)の道”が待ち受けている。しかし、思いつきで、耳ざわりのいい政策だけを並べて有権者に媚びようとした今回の失敗を反省して、ひたすらリアリズムを突きつめていくなら、まだブームを起こす可能性は残っている。ポイントは、日本維新の会と、どういう形で連携、もしくは合併を模索していくかにあるのではないだろうか。

今や自民党の最大支持層は、ネット世代である二十代を中心とする若年層になってしまった。朝日新聞が選挙終盤の10月17、18日の両日に実施した世論調査でも、比例区投票先を「自民党」と答えた世代は、圧倒的トップが「18~29歳」の41%であり、親の世代である「60代」の27%を大きく引き離していた。

各社の世論調査も同様で、若者ほど自民党を支持していることが数字にはっきりと現われているのである。若者は冷徹なまでのリアリストであり、現実政党しか信じない。

就職もままならなかったあの民主党時代にだけは戻りたくない彼らを、安倍政権が今後もどう惹(ひ)きつけていくのか。朝鮮半島有事が刻々と近づく中、さまざまな面で「お手並み拝見」といきたい。

カテゴリ: 政治

「かくて護憲勢力は壊滅した」という歴史に残る“悲劇と喜劇”

2017.09.29

かねて「2大“現実政党”時代」の到来について書いてきた私も、あまりにも「あれよ、あれよ」という展開に正直、唖然としている。

最も驚いたのは、あれほど「解散の大義がない」と叫び、「護憲」を主張し、平和安全法制を「戦争法」と決めつけて、その廃止を訴えてきた政治家たちが、一夜にして“一丁目一番地”とも言うべきその政策を「放棄」してしまったことだ。

リベラル勢力の人々は、自分たちが支えてきた政治家たちの浅ましい姿に、ただただ絶句している。刻々と変わる国際情勢や社会の変化に目を向けず、そして、やれ「お花畑だ」、やれ「ドリーマーだ」と揶揄(やゆ)されても、それでも国会前で「護憲」と「平和安全法制廃止」を訴えてきた人々は、本当に立つ瀬がないだろう。

信じていた政治家たちが、自分たち支持者を置き去りにして、こともあろうに「改憲政党」のもとに走っていってしまったのである。果たしてこれ以上の衝撃があるだろうか。

リベラル勢力の人たちが投票する政党が「共産党しかなくなってしまった」ことは、本当にお気の毒に思う。しかし、慌てることはない。恥も外聞もなく希望の党に駆けこもうとした民進党の政治家たちは、小池百合子党首によって「選別」され、少なからず「また舞い戻ってくる」からだ。その少数派の政治家たちをまた「支持すればいい」のである。

なんといっても興味深かったのは、本日(29日)、小池党首が記者会見で、希望の党からの出馬を望む民進党の立候補予定者の絞り込みについて「リベラル派を“大量虐殺”するのか」と問われ、「(リベラル派は)排除する」と、あらためて言明したことである。

小池氏は、「安全保障、憲法観といった根幹部分で一致していることが、政党構成員としての必要最低限です」と、強調した。選挙に落ちて「ただの人」になりたくないために、政治信条を捨ててまで必死で入党を懇願しているのに、リベラル政治家たちには、それでも、まだ「大きなハードルが待っている」のである。

各選挙区で着々と準備が進められてきた共産党を含む「野党統一候補」の構想は、わずか1日で白紙となったが、小池党首の「選別」によって、またそこに活路を見出そうとする政治家たちが少なからずいるだろう。護憲リベラル勢力は「選挙の前に」すでにほとんどが壊滅してしまったが、その悲喜劇は、むしろこれからが「本番」と言えるのである。

結局、小池党首が言う「リセット」とは、平和ボケしたリベラル勢力を「リセット」することだったことに気づいた向きも多いだろう。だが、まだ、あきらめてはいけない。

見方を変えれば、“抱きつき合流”によって、希望の党の中心勢力になるのが旧民進党の連中なのだから、彼らが加計問題で必死に持ち上げてきた前川喜平・元文科事務次官のように「面従腹背」を座右の銘とし、ひたすら「時」を待って、将来、希望の党の中で小池勢力を「駆逐」すればいいのである。

つまり、「駆逐するか、されるか」という勝敗はともかく、希望の党の将来は、「分裂が不可避」ということである。中国に「尖閣に手を出させない」ためにできたとも言うべき平和安全法制を「戦争法案」と叫びつづけたツケを当人たちが払わされることになったのは、なんとも「歴史の皮肉」というほかない。

カテゴリ: 政治

北朝鮮ではなく「日本人が敵」だった

2017.09.04

いよいよ北朝鮮情勢に対するアメリカの「決断の時」が近づきつつある。多くの専門家が「6回目の核実験こそ、戦端が開かれるトリガー(引き金)になる」と、くり返し述べてきたが、その「6回目の核実験」の壁は、あっさりと取り払われた。

9月3日、北朝鮮は6回目の核実験を強行し、朝鮮中央テレビは、「前例がないほどの大きな威力で実施された」と、「水爆実験」の成功を宣言した。

北朝鮮が初めて核実験をおこなったのは、2006年10月である。11年後の今、北朝鮮は、核技術を供与してきたパキスタンをも驚かせる、この分野での目覚ましい発展を遂げたことになる。核と弾道ミサイルの開発を同時に押し進める北朝鮮は、確実にアメリカの「脅威」となったのだ。

前回のブログで、「私たちは、このまま北朝鮮が“核弾頭の小型化”と“起爆装置の開発”が成功することを待つのか」という問題提起をさせてもらった。6回目の核実験で「いよいよか……」という独特の感慨がある。

今から24年前の1993年6月、週刊新潮のデスクをしていた私は、〈東京を睨む北朝鮮核ミサイルに怯える「第九条」〉という記事を書いた(6月24日号)。旧ソ連製の戦術弾道ミサイル・スカッドを北朝鮮が独自に改良・生産した「ノドン1号」が日本海で試射され、500キロ離れた目標物に命中したことが明らかになったことを受けての記事だった。

戦後50年が近づき、“平和ボケ”した日本に突きつけられたこの問題を〈東京を睨む北朝鮮核ミサイルに怯える「第九条」〉と表現した記事は当時、かなりの話題を呼んだ。しかし、今、この記事を読み返すと、これを明日出しても、そのまま通用するのではないか、という錯覚をしてしまう。

それは、“平和ボケ”は今も「まったく変わらない」という点だ。今朝、各紙に目を通していたら、朝日新聞の「天声人語」に目を吸い寄せられた。そこには、こう書かれていた。

〈迷惑千万な隣国への「怒り」は、尽きることがない。それでも「冷静さ」は併せ持ちたい。始めなくていい戦争を始めてしまった経験が、人類にはいくつもある〉

「冷静さ」は、もちろんアメリカを含めて国際社会の側は持っている。持っていないのは、これまで叔父の張成沢氏ばかりか、実兄の金正男氏、さらには、多くの軍の幹部たち、果ては罪のない人民を無惨な方法で処刑・粛清してきた金正恩当人である。

33歳の若きこの領袖が「もはや正気ではない」と各国が分析しているのは周知のことだ。その人物が核ミサイルの発射ボタンを持つことの「意味」を言うまでもなく、トランプ大統領だけでなく、国際社会が認識している。だからこそ、北朝鮮核ミサイル問題は極めて深刻なのである。

しかし、この24年間、父・金正日時代から国際社会の「対話」による解決への模索は、ただ核開発のための「時間稼ぎ」に利用されただけだった。その結果、北朝鮮は、ついに、アメリカの「殲滅」を公言するに至ったのである。

天声人語子は、「対話」の陰で、ついに「起爆装置の開発」が成されたら、それでも同じことを言うのだろうか。2013年4月に労働新聞紙上で宣言した「東京」「横浜」「名古屋」「京都」「大阪」の5都市に向けた核ミサイルの発射ボタンを、いつでも押すことができる状況下で、どんな主張をするのだろうか。

日曜日(9月3日)の朝、民放のテレビを観ていたら、番組の中でジャーナリストが「朝鮮半島の分断には、日本に歴史的な責任がある。朝鮮半島が平和になるために日本が努力しなければならないことを忘れちゃいけない」などと言っていた。北朝鮮の核ミサイル問題も「日本に責任あり」という、お得意の「悪いのはすべて日本」という論である。

また、最近話題になっている東京新聞の女性記者が記者会見で、菅義偉官房長官に「米韓の軍事演習を続けていることが、金委員長のICBM発射を促している。日本は、軍事演習について、(米韓に)金委員長側の要求に応えるよう働きかけをしているんでしょうか?」などと、完全に「北朝鮮の立場」からの質問を浴びせていた。

さすがに、菅官房長官も「北朝鮮の委員長に聞かれたらどうですか?」といなしていたが、「なんでも悪いのは日本」という人たちの発想と論理には恐れ入る。

これまで何度も書いてきたように、日本人は、ほぼ全員が平和を望んでいる。日本は、平和主義者の塊(かたまり)と言える。しかし、その平和主義者は、二つに分かれている。「空想的平和主義者」と「現実的平和主義者」だ。

平和を唱えていれば平和が保たれると思う“ドリーマー(夢見る人)”と、あらゆる現実的手段を執って戦争を防ごうとする“リアリスト(現実を見る人)”である。ドリーマーの特徴は、なんでも「悪いのは日本」で、日本が戦争を起こすのを「どう防ぐか」とばかり考えていることだ。

残念ながら、マスコミには、このドリーマーが非常に多い。彼らは自分たちを“リベラル”と称して、「私たちはペンで戦争をしたい人たちと闘っている」と思い込み、自己陶酔に浸っている。

彼ら彼女らにとっては、「北朝鮮は守らなければならない国」なのである。自然と発想が「北朝鮮寄り」になり、北の利益になるようなことばかり「代弁」するようになる。彼らがいかに北朝鮮の力強い味方だったかがわかる。

彼らは、日本人が「拉致」されるという最大の「主権」と「人権」の侵害に直面しても、決して北朝鮮を糾弾せず、常に「対話」を主張し、「核開発」のための時間稼ぎに大いに力を貸してきた。大多数の日本人にとっては、彼らこそ「敵だった」のである。

それは、この問題が勃発した24年前も、そして「今」も変わらない。かつて北朝鮮を“地上の楽園”と囃(はや)した新聞が、今も脈々とドリーマーを育てつづけていることに、ほとほと感心する。

しかし、事態がここに至り、アメリカのとり得る手段は「2つ」に絞られてきたといっていいだろう。ひとつは、北朝鮮を核保有国とみなして、米朝高官交渉を始めること。もうひとつは、核兵器の除去、つまり、軍事行動で北朝鮮を瓦解せしめることである。

その時は、金正日時代に彼を“斬首”するために立案・計画されていた「作戦計画5026」と「作戦計画5030」が再び甦(よみがえ)ることになるだろう。

在韓アメリカ人の秘かな移動、つまり国外脱出は、どのようなかたちで進行しているのか。それが、明らかになった段階で、世界はアメリカの「決意」を知るに違いない。

「まるでキューバ危機」という声がアメリカ国内にも出始めた。トランプ大統領は、記者から「北朝鮮を攻撃するのか」と問われ、「そのうち分かる(We will see)」と発言した。いよいよ「決断の時」が近づいている。

カテゴリ: マスコミ, 北朝鮮

日本はこのまま「北朝鮮の核ミサイル完成」を待つのか

2017.08.29

本日早朝、北朝鮮の中距離弾道ミサイルが、警告されていた島根、広島、高知の上空ではなく、北海道上空を通過し、太平洋上に落下した。小野寺五典防衛相は、「中距離弾道ミサイル『火星12』の可能性がある」と記者団に述べた。

これまで、北朝鮮が予告の上で「人工衛星である」と称して発射した飛行体が日本列島を通過したことはあったが、ついに弾道ミサイルが「予告なし」で列島を通り越していったのである。

北海道をはじめ全国各地で、Jアラートと連動したサイレンが鳴り響き、携帯電話やスマートフォン等で「エリアメール」が鳴動した。テレビ画面も一斉に緊急画面に切り替えられた。

「私たちは、このまま北朝鮮の“核ミサイルの完成”を待ちますか?」――私は、そんなことを思いながら、一連の動きを見ていた。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」した私たち日本人にとって、北朝鮮の弾道ミサイルは、本来「あり得ないこと」である。

憲法前文で謳うこの理想は、人類の夢である。だが、「夢」は「夢」であり、「現実」ではない。世界の諸国民が「平和を愛する人々である」という前提がいかに「おめでたい」かは、小学生にでもわかる。

だが、私は、「日本人はこのまま北朝鮮の“核ミサイルの完成”を待ち、座して“死”を待つのだろうか」と本当に思う。当欄でも、私は長くこう書いてきた。「北朝鮮が核弾頭の小型化と起爆装置の開発を果たすまでが、日本人が生存できるリミットである」と。

多くの研究者が、「もはや北朝鮮は核弾頭の小型化を実現している」という中、あとは「起爆装置の開発」ができているかどうか、である。

言うまでもなく「核弾頭の小型化と起爆装置の開発」の成功は、「核ミサイルの完成」を表わす。その瞬間から、日本人は、「いつ、理不尽に、自分の命が失われるかわからない状況下に立つ」ことになる。

日本人は忘れやすいのであらためて記すと、北朝鮮はすでに、2013年4月、朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」に〈わが国に対する敵対政策は日本の滅亡を招く〉という記事を掲載(4月10日付)している。

その中で、〈日本は我々の報復対象から逃れることはできない〉とし、攻撃対象として〈東京、大阪、横浜、名古屋、京都〉の「5都市」を挙げている。

記事はかなり詳細で、これらの5都市が日本の人口の「3分の1」近くを占めていることを理由に、〈われわれは、日本の戦争持続力を一気に壊滅させることができる。日本列島のすべてをわれわれは戦場とするだろう〉と主張していた。

この「宣言」は核ミサイルを前提にしている。そして今、いよいよその完成が「間近」となったのである。

私は、テレビで評論家の話を聞きながら、「なぜ、ここまで危機感がないのか」と思う。まだ「起爆装置の開発ができていない」今だからこそ、日本は「生存」できている。なにも起こらないで欲しい、と思っても、もはやそんな悠長なことを言っていられる場合ではない。

もし、北朝鮮が「すべての開発」を終了させたら、日本はどうするのだろうか。そんなことをなぜ議論しないのだろうか。そして、今回のミサイルを「なぜ、撃ち落さなかったのか」、それは、ひょっとして「撃ち落せなかったのか」、それとも完全にミサイルの航跡を把握しながら「撃ち落す必要はない」と判断したのか、そして、もしそうなら、なぜそう判断したのだろうか。議論すべきことは数多くある。

なかでも日本が今、議論すべきは、アメリカに「北朝鮮の無力化」をどう果たしてもらうか、ということではないだろうか。その具体策をどうするか、それを政府に先んじてマスコミは議論していかなければならない。

加計問題で、ファクトに基づかない一方的で煽情的な報道をつづけた日本のマスコミ。「国民の生命と財産を守る」ということに対するマスコミの意識の低さと危機感の欠如に、私は、ただ溜息が出るだけである。

カテゴリ: マスコミ, 北朝鮮

新たなステージに進んだ「永田町」の暑い夏

2017.08.06

2017年夏、日本の政界は、安倍政権の内閣改造で新たな「ステージ」に入った。森友や加計問題で、“ファクト”がないままの異常なマスコミによる安倍叩きがやっとひと段落し、新しい“戦い”の輪郭が見えてきたのだ。

私は、内閣改造の当日、産経新聞から感想を問われ、実務能力や国会答弁の安定性を重視した点で「リアリズム内閣である」とコメントさせてもらった。そういう顔ぶれであることは間違いないが、それと共に、来年9月の「自民党総裁選」をにらんだ絶妙の配置であることに、あらためて注目している。

ひと言でいえば、「石破“封じ込め”内閣」である。今回の組閣で驚いたのは、石破派の入閣待望組ではなく、まだ当選わずか3回で、同派の将来の有望株「斎藤健氏」を農水相として閣内に取り込んだことだ。完全に石破派への揺さぶりである。

それだけではない。無派閥の野田聖子氏を総務相という重要ポストに取り込んだことも、「石破対策」と言える。来年9月の総裁選に、安倍首相としては、「野田氏に出馬して欲しい」というのが本音だ。

最大の理由は、総裁選での「石破氏との一騎打ち」を避けたいからだ。安倍首相は、2012年の総裁選で、第一回投票で石破氏に敗れている。石破氏は、地方票と国会議員票の第一回投票で199票を獲得しながら過半数には至らず、国会議員票のみの投票となった第二回投票で安倍氏に逆転された。

安倍首相にとって重要なのは、「複数の総裁候補が出馬すること」である。一騎打ちの場合、地方票では、またしても大きく石破氏が上まわる可能性がある。そうなれば、「敗北」である。

そのためには、安倍首相は、野田聖子氏にも、河野太郎氏にも、来年の総裁選に出馬してもらいたい。閣外で舌鋒鋭く政権を非難されるのは困るが、閣内に取り込んで、よしみを通じた上で、総裁選に「出馬してもらう」ことは、安倍首相にとって不可欠な戦略と言える。

それを見越して、野田、河野両氏を「閣内に取り込んだ」と見るのが自然だろう。両氏が、来年の総裁選への自身の出馬に早くも言及しているのは、そういう背景がある。

しかも、今回の野田氏の起用は、“元祖”女性宰相候補である野田氏本人にとっても、実に大きい意味を持つ。1998年にすでに郵政大臣を経験し、明晰な頭脳と情に厚いことで当時の郵政官僚たちを虜(とりこ)にした野田氏が、今後は、安倍首相の後ろ盾を「得る」ことになるのである。

その後、現われては消えていった女性宰相候補の中で、彼女が「復活」の糸口をつかんだことは、実に大きい。たとえ安倍批判をおこなっても、もともと安倍―野田ラインは、93年同期当選組として強固なものがあっただけに、今回の起用ほど意味深なものはなかなかあるものではない。

安倍、石破、野田、河野という4者が総裁選に出れば、確実に票は割れる。もし、野田、河野両氏を重要閣僚で遇しておかなければ、出馬しても“泡沫”で終わる。いや、推薦議員「20人」のノルマを達成できずに、またしても総裁選に「出馬できない」可能性もある。

両氏の抜擢は、石破氏の第一回投票での過半数獲得を「阻止するもの」なのである。石破派への揺さぶりのための「斎藤健氏の閣内取り込み」と共に、野田・河野両氏の重要閣僚への抜擢は、この改造内閣の性格を明確に特徴づけていると言っていいだろう。

この6月に、私は当ブログで「やがて日本は“二大現実政党”の時代を迎える」というタイトルで、民進党の「崩壊」と、自民党に代わる新たな現実政党の「出現」について、書かせてもらった。

これまでくり返し書いてきたように、私は、現在を「左」と「右」との戦いではなく、「ドリーマー(夢見る人)」と「リアリスト(現実主義者)」の戦い(つまり「DR戦争」)だと分析している。安全保障分野で言うなら、「空想的平和主義者」vs「現実的平和主義者」の戦いである。

旧態依然とした現実無視のマスコミ報道は、今国会のテロ等準備罪法案、森友、加計問題……等々でも、いかんなく発揮された。迫りくる北朝鮮や中国の危機に対して、国民の生命、財産、そして領土を具体的にどう守ろうかという議論が必要な時に、ただ“揚げ足取り”や、煙もないところに“火をつけて歩く”ことが大手を振っておこなわれた。

こんなレベルのマスコミと野党は、決して国民には受け入れられない。今後、国民の支持を集める政党が出てくるなら、それは「現実政党」であることが必須条件となる。

抽象論や観念論をふりかざして、国会近くにいるデモ隊の中に飛び込み、叫んだり、煽ったり、アジったりする。そんな“空想空間”に生きる政党や政治家は国民に愛想をつかされて、やがて「消え去る」だろう。

その意味で、私は、国内外の厳しい現実に対処できる「リアリズム」政党こそが、これから「日本の政治」を担っていくと思う。

最近、小池百合子都知事が率いる「都民ファースト」への“合流&加入”を目指す政治家の動きが顕著だ。しかし、私は、「決められない都知事」小池氏は、これまで書いてきたリアリズムの“対極”にいる政治家であろうと思う。

「築地は守る、豊洲は活かす」という論理的に“破綻”したキャッチフレーズで都民に巨額の税負担をもたらす小池都知事は、ある意味、舛添前都知事より「タチが悪い」かもしれない。

「6000億円」という気の遠くなるような総事業費をブチ込んだ豊洲新市場は、企業債(借金)の利息ですら「370億円」にのぼる。「築地売却」による“借金の圧縮”こそ都民のために急務であることは明らかなのに、どっちにもいい顔をするために「築地は守る、豊洲は活かす」とは言いも言ったりである。まさに「決められない都知事」の面目躍如と言える。

残念ながら、こんなリーダーに率いられた政党は、自民党政権の受け皿とはなり得ないと私は思う。耳ざわりのいい言葉を発することと、「現実政党」とは、多くの場合、イコールではないからだ。

しかし、国民は「二大現実政党」時代を志向し、実際に政局がそういう方向に向かっているのも事実である。

用意周到な計算の末に改造され、“リアリズム内閣”となった安倍政権が、対「石破茂」戦争という明確な方針を示し、かつ、憲法改正問題や、都民ファーストとの戦いを念頭に動き出すことで、永田町はこの夏、「新たなステージ」に進んだのである。

カテゴリ: 政治

真実を隠す「政治運動体の機関紙」となった新聞

2017.07.30

異常な“政治狂乱報道”が、やっとひと区切りついた。最後は、陸上自衛隊トップの辞任、蓮舫民進党代表の辞任、そして、稲田朋美防衛大臣の辞任という形で、2017年前半の混乱政治が終わった。

それは、本来は、国民に「真実」を伝えるべき新聞が、まるで「倒閣運動体」の機関紙に過ぎないレベルに堕(お)ちたことを示す日々でもあった。今年2月に、南スーダンPKO日報問題と森友問題が勃発し、以後、加計学園問題がつづき、連日、新聞もテレビも、劣化したお粗末なレベルを見せつづけた。

しかし、これらの「ファクト(事実)」とは一体、何だったのだろうか。事実にこだわるべきメディアが、「主義・主張(イデオロギー)」、それも、「安倍内閣打倒」という目的に向かって、報じるべきファクトを報じず、国民を一定の方向に導くべく狂奔した毎日だった。

嬉々として、これをつづける記者たちの姿を見て、「ああ、日本の新聞記者はここまで堕ちたのか」と失望し、同時に納得した。

私は今週、やっと新刊の『奇跡の歌 戦争と望郷とペギー葉山』(小学館)を上梓した。締切に追われ、ここしばらくブログを更新することもできなかった。しかし、産経新聞に〈新聞に喝!〉を連載している関係上、毎日、新聞全紙に目を通してきた。

私は今、来年に刊行する政治がらみのノンフィクション作品のために、かつての大物政治家たちの「回想録」や「証言集」を読み始めている。そこには、多くの新聞記者が登場してくる。大物政治家たちは、彼ら新聞記者の「見識」を重んじ、新聞記者に意見を求め、自分が判断する時や、大きな決断が必要な際に、大いに参考にしている。そのことが、大物政治家たちの証言集の中に随所に出て来るのである。

しかし、今の新聞記者にそんなことは望むべくもない。記者がどこまでも追及しなければならないファクトを置き去りにし、「政権に打撃を与えることだけ」が目的の報道を延々とつづけているからである。

会ったこともないのに、天皇や安倍首相が幼稚園を訪問したというデタラメをホームページに掲載し、ありもしない「関係」を吹聴して商売に利用してきた経営者による「森友問題」は、国会の証人喚問にまで発展した末、安倍首相の便宜供与という具体的な事実は、ついに出てこなかった。

問題となった森友学園の土地は、伊丹空港への航空機の侵入路の真下に位置している。かつて「大阪空港騒音訴訟」の現場となったいわくつきの土地である。「騒音」と建物の「高さ制限」という悪条件によって、国はあの土地を「誰か」に買って欲しくて仕方がなかった経緯がある。

そのために、破格の条件でこれらの土地を売却していった。現在の豊中給食センターになっている土地には、補助金をはじめ、さまざまな援助がおこなわれ、“実質的”には100%の値引きとなっている。

また、森友学園と道ひとつ隔てた現在の野田中央公園となっている土地にも、いろいろな援助がおこなわれ、“実質”98・5%の値引きが実現している。それだけ、国はこのいわくつきの土地を「手放したかった」のである。

森友学園には、地中に埋まっているごみ処理費用としての値引きをおこなって、実質86%まで値下げをおこなった。しかし、前者の二つの土地に比べれば、実質的な値引きは、まだまだ「足らなかった」と言える。これは、新聞をはじめ、マスコミならすべて知っている事実だ。

だが、新聞は、この土地の特殊な事情や、ほかの二つの土地のことに「全く触れず」に、ひたすら安倍首相が「関係の深い森友学園の経営者・籠池氏のために破格の値引きをおこなった」という大キャンペーンをくり広げた。

そして、証拠が出てこないことがわかるや、今度は「忖度」という言葉までひねり出して「疑惑」を継続報道した。国民に不信感を抱(いだ)かせる抽象的なことは書くが、それに都合の悪い「ファクト」は、いっさい報じなかったのである。

加計問題も、図式は同じだ。12年前の小泉政権時代の構造改革特区時代から今治市の民主党(当時)県議の働きかけによって、加計学園は獣医学部新設に動き始めた。だが、新聞はそのことには、いっさい触れず、加計学園は、安倍首相の友人が理事長を務めており、「加計学園に便宜をはかるため」に、「国家戦略特区がつくられ」、獣医学部の「新設が認められた」とされる疑惑をつくり上げた。

森友問題と同じく、ここにも、「憶測」と一定の政治的な「意図」が先行した。そこに登場したのが、天下り問題で辞任した文科省の前川喜平前事務次官である。前川氏は、「行政が歪められた」という告発をおこなったが、抽象論ばかりで具体的な指摘はなく、文科省内の「総理のご意向」や「官邸の最高レベルが言っている」という文言が記された内部文書がその“根拠”とされた。

しかし、現実には、公開されている国家戦略特区の諮問会議議事録でも、文科官僚は獣医学部の新設が「必要ない」という理由を何も述べられなかったことが明らかになっている。そして、いわば「議論に敗れた」ことに対して、文科省内部での上司への弁明の文書ともいうべきものが、あたかも「事実」であるかのように報道され、テレビのワイドショーがこれに丸乗りした。

これらの報道の特徴は、ファクトがないまま「疑惑は深まった」「首相の関与濃厚に」という抽象的な言葉を並べ、国民の不信感を煽ることを目的としていたことである。

ここでも都合の悪い情報は報道から除外された。前述の加計学園が12年も前から手を挙げていて、それが今治選出の県議と加計学園の事務局長が友達だったことからスタートしていたことも、国会閉会中審査に登場した“当事者”の加戸守行・愛媛県前知事によって詳細に証言された。

愛媛県が、鳥インフルエンザやBSE、口蹄疫問題等、公務員獣医師の不足から四国への獣医学部の新設を要請し続けたが、岩盤規制に跳ね返され、やっと国家戦略特区によって「歪められた行政が正された」と語る加戸前知事の証言は具体的で、文科省の後輩でもある前川氏を窘(たしな)める説得力のあるものだった。

しかし、多くの新聞は、ここでもこの重要な加戸証言を黙殺した。自分たちがつくり上げた疑惑が、虚構であることが明らかになってしまうからである。新聞は、前川氏の証言だけを取り上げ、逆に「疑惑は深まった」と主張した。

ついに稲田防衛相の辞任につながった南スーダンの日報に関する報道も、「隠ぺいに加担した稲田防衛大臣」という一方的なイメージをつくり上げた。自衛隊の南スーダンの派遣施設隊の日報は、今年「2月6日」には存在が明らかになり、新聞各紙も防衛省の公表によって、「2月7日付夕刊」から大報道していた。

黒塗りの機密部分もあったものの、日報は公開され、国民はそのことをすでに知っていた。それから1週間後の「2月15日」に防衛省で開かれた会議で、日報を隠蔽することなどは当然できない。しかし、新聞をはじめ、ほとんどのマスコミは、すでに日報が公表されていた事実にいっさい触れず、あたかも「すべてが隠蔽された」という印象報道をおこなったのである。

事実を報じ、その上で、批判をおこなうのがジャーナリズムの使命であり、責任であることは言うまでもない。しかし、哀しいことに日本の新聞記者は、いつの間にか「政治運動体の活動家」になり果ててしまったのだ。

外交評論家の岡本行夫氏が、朝日新聞の慰安婦報道をめぐる朝日社内の「第三者委員会」の委員となり、2014年暮れに発表された報告書に記したこんな文章がある。

〈当委員会のヒアリングを含め、何人もの朝日社員から「角度をつける」という言葉を聞いた。「事実を伝えるだけでは報道にならない、朝日新聞としての方向性をつけて、初めて見出しがつく」と。事実だけでは記事にならないという認識に驚いた。

 だから、出来事には朝日新聞の方向性に沿うように「角度」がつけられて報道される。慰安婦問題だけではない。原発、防衛・日米安保、集団的自衛権、秘密保護、増税、等々。
 方向性に合わせるためにはつまみ食いも行われる。(例えば、福島第一原発吉田調書の報道のように)。なんの問題もない事案でも、あたかも大問題であるように書かれたりもする。

新聞社に不偏不党になれと説くつもりはない。しかし、根拠薄弱な記事や、「火のないところに煙を立てる」行為は許されまい。ほかにも「角度」をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある。再出発のために深く考え直してもらいたい。新聞社は運動体ではない(一部略)〉

明確に岡本氏は、〈新聞社は運動体ではない〉と述べていたが、残念ながら、新聞の実態はますます悪化し、いまや〈政治運動体〉そのものと化し、もはや、“倒閣運動のビラ”というレベルにまで堕ちているのである。

メディアリテラシーという言葉がある。リテラシーというのは「読み書き」の能力のことで、すなわち「読む力」と「書く力」を表わす。情報を決して鵜呑みにはせず、その背後にどんな意図があり、どう流されているものであるのかまで、「自分自身で判断する能力」のことをメディアリテラシーというのである。

新聞を筆頭とする日本のマスコミがここまで堕落した以上、日本人に問われているのは、このメディアリテラシーの力であることは疑いない。幸いに、ネットの発達によって玉石混淆とはいえ、さまざまな「ファクト」と「論評」に人々は直接、触れることができる。

どうしても新聞を読みたい向きには、政治運動体の機関紙と割り切って購読するか、あるいは、真実の情報はネットで仕入れた上で、その新聞の“煽り方”を見極め、これを楽しむ意味で読むことをお勧めしたい。

カテゴリ: マスコミ, 政治

やがて日本は「二大現実政党」の時代を迎える

2017.06.19

第193回通常国会は、さまざまな意味で「歴史に残るもの」となった。森友学園や加計学園問題に多くの時間が費やされた低レベルの国会に、ほとほと嫌気がさしたのは、私だけではないだろう。

この情けない有り様を見ながら、私は、「やがて日本は、二大現実政党の時代が来る」と思った。それは、決して「本質」に踏み込まない不毛な「印象操作」と「パフォーマンス」、そして、「最初に結論ありき」の子供じみた政治家たちのスタンスに起因する。

森友問題から加計問題に至る「5か月間」は、それほど情けないものだった。森友学園や加計学園に対する「便宜供与」が本当に安倍首相にあったなら、それを出せばいい。しかし、印象操作を目的に、ひたすらパフォーマンスがくり返される「劇場型国会」に、いい加減にしろ、と叫びたかった良識ある国民は多いだろう。

テロ等準備罪を新設する組織犯罪処罰法改正案の審議も、最初から最後まで「ケチをどうつけるか」という枝葉末節の議論に終始し、最後は参議院法務委員会での「日本維新の会」の質問中に民進党が法相の問責決議案を提出して、“審議拒否”策に出た。

「しめた」とばかりに、自民党が委員会の採決をすっ飛ばして「中間報告」による本会議採決に持っていく奇策に出た。しかし、産経新聞以外のメディアは、維新の質問中に民進党によって法相の問責決議案が提出され、民進党が審議拒否戦略に出たことを報じていない。自民党の一方的な「中間報告」による本会議採決だったとしか国民に情報を「出さなかった」のである。

「パレルモ条約(国際組織犯罪防止条約)」批准のために不可欠な国内担保法である組織犯罪処罰法改正案は、テロやさまざまな組織犯罪と向き合わなければならない日本にとって、不可欠な法律である。

これを締結していない国は、ソマリアや南スーダン、コンゴ、イラン、パラオ、フィジー、ソロモン諸島ら、日本を入れて11か国に過ぎない。かつて、旧民主党は現在の政府案の基になる修正案を国会に提出した。対象を「組織的犯罪集団」に絞り込み、さらには、犯罪実行のための「予備行為」を処罰要件とする、今回の政府案に酷似したものだった。

旧民主党も、当時は、国際的な組織犯罪への危機感を「共有」していたのである。米、英、独、仏、伊……先進国はもちろん、テロや国際犯罪から国民を守りたい国々は、「共謀罪」か、「参加罪」か、いずれかの国内法をつくり、パレルモ条約を批准している。では、先進国のなかで、今回、野党が主張したように、それによって「内心の自由」や「思想の自由」、あるいは「表現・言論の自由」が犯された国があったのだろうか。答えは、ノーである。

この法律によってパレルモ条約に加盟する最大の利点は、各国との“捜査情報の共有”にほかならない。各国がテロや国際犯罪との戦いで掴んだ情報を共有できることは、日本国民の「生命」と「財産」を守るためには、不可欠なものだ。

爆弾ひとつとっても、雷管に何を使い、起爆装置に何を使うか、あるいは、自爆テロをどういう経過を辿って実現していくか、それらの集団の捜査の端緒をどこから見出すか……等々、テロや組織犯罪から国民を守るために不可欠なものが、各国の捜査機関には蓄積されており、それを日本は「共有」できるのである。

しかし、日本は、ソマリアや南スーダン、コンゴなどと同じく、それらのネットワークから“除外”されている。戦前の治安維持法の時代に「戻るかもしれない」と、反対する人々がいるからである。私は、NHKの日曜討論に出演して反対派の人々と話し合ったが、彼らが話す抽象論に「はあ?」という思いを強くした。

どうしても、私は10年前、防犯カメラの設置に対して強力に反対した政治勢力やジャーナリズムのことを考える。彼らは、あの時と同様、今回も「監視社会の到来」を訴えて、法案に猛反対したのである。

街のあちこちに設置された防犯カメラによって、彼らが主張してやまなかった「監視社会」は、10年後の今、到来しただろうか。平穏に暮らす国民の「命」を守ることよりも、そんな不安ばかりを煽って、政治家としての責任を果たさなかった人々は、あの時、主張したことを今、どう総括するのだろうか。

戦後72年におよぶ民主主義国家としての歩みを無視して、あの思想警察「特高」が存在していた時代の「治安維持法」と同列に並べて国民の不安を煽る手法は、私には理解できなかった。観念論や抽象論で、国民に不安ばかりを植えつけようとする手法は、このインターネット時代に、もはや通用しない。

私は、現在を「左」と「右」との戦いではなく、「ドリーマー(夢見る人)」と「リアリスト(現実主義者)」の戦い(つまり「DR戦争」)だと分析している。安全保障分野で言うなら、「空想的平和主義者」vs「現実的平和主義者」の戦いである。

「不安商法」の時代は、とっくに過ぎ去っている。今でも、この古典的な手法にしがみつく政治家に、国民の支持は絶対に集まらないと私は思う。

もし、集まるとするならば、「現実政党」に対して、である。私は、これを「保守政党」とは呼ばない。「保守」とは、旧来のものを守ることを意味するからだ。そうではなく、あくまで「現実政党」である。

東京都議選を前に公認候補の離党ラッシュが続いた民進党で、今年4月、長島昭久・衆議院議員が離党届を提出し、記者会見で語った中身は、象徴的だった。

「“党内ガバナンス”という魔法の言葉によって、一致結束して“アベ政治を許さない!”と叫ぶことを求められ、過去に自分たちが推進し、容認してきた消費税も、TPPも、ACSA(日米物品役務相互提供協定)も、秘密保護法制も、安保法制も、憲法改正論議も、共謀罪も、すべて反対、徹底抗戦、廃案路線で突き進む。

行き詰まると、院外のデモ隊の中に飛び込んで、アジる、煽る、叫ぶ。そこには熟議も、建設的な提案もない。与野党の妥協も政策調整の余地もない。国民世論の統合を期待されている国会において、かえって国民の中にある分断の萌芽(ほうが)をさらに拡大しているようにしか見えないのです」

私は、「リアリズム」が、今後の政界のキーワードになることは間違いないと思う。あらゆる政策に是々非々で議論を戦わせ、国民にとって「なにがベストなのか」という点で、ある時は妥協し、ある時はとことん戦い抜く――早く、そんな「二大現実政党時代」の到来を実現し、「現実政党」同士の中で、意味ある政権交代を国民が選択できるようになって欲しいと、心から願う。

カテゴリ: 政治

「20年前」と変わらない偽善ジャーナリズム

2017.05.23

本日、永田町に行ってきた。参議院議員会館の地下会議室でおこなわれた「犯罪被害者の声を国会に届ける院内集会」に出るためである。

議員会館の外の道路には、「共謀罪反対」のグループが旗を林立させ、マイクでがなっていた。「日教組」や「千葉動労」、あるいは、「新社会党」といった旗や幟(のぼり)が目に飛び込んでくる。“いつもの”人々の反対闘争であることがわかる。若者はほとんどいない。反対運動が、団塊の世代が中心であることが窺えた。

そんな中をかき分けて、やっと参議院議員会館に辿りついた。明日24日は、神戸酒鬼薔薇事件で土師淳くん(11)=当時=が殺害されて「20年」になる。今日の集会は、加害者ばかりが“優遇”され、被害者は捨ておかれた日本のあり方に疑問を投げかけ、2004年に「犯罪被害者等基本法」を成立させた「あすの会」などが中心になって企画されたものである。

会場に入っていくと旧知の土師守さん(61)と目が合った。淳君のお父さんである。淳君が殺されて20年。あの事件以来、ずっとお付き合いしていただいた関係だ。土師さんも、この20年で、すっかり髪の毛が白くなってしまった。

「あすの会」の岡村勲弁護士(88)もいて、ご挨拶させてもらった。いずれも、私が週刊新潮のデスク時代に大変お世話になった人々だ。会は、土師さんの講演から始まった。

「私は、自分自身が犯罪被害者の家族となるまで、これほど犯罪被害者に何の権利もなく、捨ておかれているのかを知りませんでした。公的にも私的にも、権利がなく、ただ、私たちは、犯罪の“証拠”として扱われるだけでした」

そう土師さんが語り始めると、国会議員や記者たちが、一斉にメモを取り始めた。土師さんは、淳君だけでなく、2つ年上の兄も、事件後、厳しい状況におかれたことを淡々と語った。

「淳が殺されて大変な衝撃を受けた兄は、同時に加害者とも顔見知りで、同じ中学校に通っていました。あの事件のために学校に通えなくなり、成績も落ち、出席日数も足りなくなりました。家庭教師を雇って、なんとか勉強はさせましたが、公立ではなく、家から遠い私立の高校に入らざるをえませんでした。高校の3年間、息子を私が自動車で学校に送っていきました。立ち直らせるには、親の力だけではとても無理でした」

シーンと鎮まりかえった中で、土師さんは、当時の苦しみを語った。加害者だけが手厚く遇され、被害者には何もなく、「真の正義」というものが見失われていた日本の異常な実態をそう訴えたのである。

前述のように2004年に犯罪被害者等基本法ができ、やっと犯罪被害者に目を向けられるようになるが、まだまだ不十分であることを土師さんは具体例を挙げて話した。やがて、土師さんの話は、あの酒鬼薔薇聖斗が出した『絶歌』へと移っていった。

一昨年(2015年)6月に突如、出版されたこの本で、いかに残された家族が苦しんだかを土師さんは語ったのである。

「事件で家族を苦しめ、さらに、自分の犯した犯罪を題材に、本まで書いて収入を得る。私は、今でもあの本を読んでいませんが、2度も被害者家族を苦しめることは、本来、あり得ないことです」

「自由の逸脱は許されないのです。表現の自由も同じです。性描写やリベンジポルノなど、自由を逸脱することは、許されないのです。しかし、日本では、まだ自分の犯した犯罪を題材に、本まで書いて収入を得るということが許されているのです」

土師さんは、犯罪被害者問題のさらなる改善を訴えて、講演を終えた。私は、土師さんの話を聴きながら、ずっとあることを考えていた。

この20年で「世の中は変わったのか」ということである。事件当時、日本は「うわべだけの正義」が蔓延していた。少年事件が起これば、「ああ、かわいそう……」という声が向けられるのは、被害者ではなく、加害者の側だったのだ。

育った環境に同情し、心がどれだけ追い詰められて犯行に至ったのか……等々、マスコミはそんなことばかり報じていた。

特に、朝日新聞がこの事件を扱った連載『暗い森』は、その「うわべだけの正義」と「偽善」に満ちたものだった。土師さんは、そういったマスコミのあり方にも苦しんだ。私と知り合ったのは、そんなときだった。

手記『淳』を新潮社から出してもらい、少年法改正に反対する朝日新聞を中心とする偽善メディアと、新潮誌上で、どれだけ闘ったかしれない。

彼らは、甘すぎる少年法の罰則強化を「厳罰化」と呼んで反対した。彼らにかかれば、「適正化」は「厳罰化」になるのである。

犯罪少年の有利になることが「人権」であると、彼らは勘違いしていた。きちんとした罰則も受けず、ろくに反省の機会も与えられないまま、あっという間に少年院から帰ってきた少年たちは、逆に「箔(はく)が付いた」と、以前よりも不良ぶりを発揮する事例は枚挙に暇がなかった。彼らが、平穏に暮らす少年少女たちの「命」に対する、さらに大きな脅威となっていたのである。

そして「人権」の意味を取り違えた、これら偽善ジャーナリズムは、つい最近まで土師さんの壁になりつづけたのである。

私は思う。今も彼ら偽善ジャーナリズムは「変わらない」と。観念論や抽象論ばかりで具体性は全くないまま、人々の不安を煽り、実は、国民の「命」に対する大きな脅威となっていることに、である。

会合を終え、外に出たら、“市民”を称する人々の「共謀罪反対」のシュプレヒコールはますます大きくなっていた。ああ、20年前と何も変わらないなあ、と私は溜息をついた。

カテゴリ: 事件

今村復興相「報道」 メディアの呆れた実態

2017.04.06

議論する時に、相手の意見を捻じ曲げたり、歪めたりして自分が主張しやすいように変えるやり方を「ストローマン手法」、あるいは、「わら人形論法」と言う。そのままでは、議論に負ける時に、相手の言っていること自体を変えてしまうのだ。

わら人形や案山子(かかし)は「簡単に倒す」ことができるので、つけられた名称とされ、欧米では最も軽蔑されるディベートの方法でもある。

しかし、日本の新聞やテレビでは、この手法が「日常的に」取り入れられている。当事者の発言内容を意図的な編集で切り取り、歪めてしまうのだ。その上で、発言主を徹底的に攻撃するのである。

今、大きな問題となっている今村雅弘・復興相の発言に対する報道でも、典型的な「ストローマン手法」が用いられている。国民の多くは、今村大臣の激高部分だけをくりかえし見させられて、「なんて横暴な大臣だ」と思い込んでいるだろう。

しかし、実際のやり取りはどうだったのか。意図的な編集をされていないだろうか。そんな観点で問題となった4月4日午前10時からおこなわれた閣議後会見を見てみると、新たな事実に気がつかされる。むしろ、その「一部始終」を見た人は、逆に、今村大臣の方に同情してしまうのではないだろうか。

まず、問題は「自主避難者」の問題であることを頭に置かなければならない。自主避難者とは、政府の避難指示の範囲外から、自主的に県外へ避難した人々のことだ。福島第一原発から遠く離れた会津地方の人もいれば、郡山といった大都市から、自主的に県外へ出て行った人もいる。

その自主避難者への住宅の無償提供が、震災後6年を経て2017年3月末で、福島県が打ち切った。震災後、6年もの長期にわたって「自主的に」避難していた人たちに住宅の無償提供が続いていたこと自体が驚きだが、フリーランスの記者は、このことについて、こう質問している(以下、復興庁ホームページと録画テープの聞き起こしによる)。

(問)福島県外、関東各地からも避難している方もいらっしゃるので、やはり国が率先して責任をとるという対応がなければ、福島県に押しつけるのは絶対に無理だと思うんですけれども、本当にこれから母子家庭なんかで路頭に迷うような家族が出てくると思うんですが、それに対してはどのように責任をとるおつもりでしょうか。
(答)いや、これは、国がどうだこうだというよりも、基本的には、やはり、ご本人が判断をされることなんですよ。それについて、こういった期間についてのいろいろな条件つきで環境づくりをしっかりやっていきましょうということで、そういった住宅の問題も含めて、やっぱり身近にいる福島県民の一番親元である福島県が中心になって寄り添ってやる方がいいだろうと。
 国の役人がね、そのよく福島県の事情も、その人たちの事情もわからない人たちが、国の役人がやったってしようがないでしょう。あるいは、ほかの自治体の人らが……。だから、それは、あくまでやっぱり一番の肝心の福島県にやっていっていただくということが一番いいという風に思っています。それをしっかり国としてもサポートするということで、この図式は当分これでいきたいという風に思っています。
(問)それは大臣ご自身が福島県の内実とか、なぜ帰れないのかという実情を、大臣自身がご存じないからじゃないでしょうか。それを人のせいにするのは、僕は、それは……。
(答)人のせいになんかしてないじゃないですか。誰がそんなことをしたんですか。ご本人が要するに、どうするんだ、ということを言っています。
(問)でも、帰れないですよ、実際に。
(答)えっ。
(問)実際に帰れないから、避難生活をしているわけです。
(答)帰っている人もいるじゃないですか。
(問)帰っている人ももちろんいます。ただ、帰れない人もいらっしゃいます。
(答)それはね、帰っている人だって、いろんな難しい問題を抱えながらも、やっぱり帰ってもらってるんですよ。
(問)福島県だけではありません。栃木からも群馬からも避難されています。
(答)だから、それ……
(問)千葉からも避難されています。
(答)いや、だから……
(問)それについては、どう考えていらっしゃるのか。
(答)それは、それぞれの人が、さっき言ったように判断でやれればいいわけであります。
(問)判断ができないんだから、帰れないから避難生活を続けなければいけない。それは国が責任をとるべきじゃないでしょうか。
(答)いや、だから、国はそういった方たちに、いろんな形で対応しているじゃないですか。現に帰っている人もいるじゃないですか、こうやっていろんな問題をね……。
(問)帰れない人はどうなんでしょう。
(答)えっ。
(問)帰れない人はどうするんでしょうか。
(答)どうするって、それは本人の責任でしょう。本人の判断でしょう。
(問)自己責任ですか。
(答)えっ。
(問)自己責任だと考え……。
(答)それは、基本はそうだと思いますよ。
(問)そうですか。わかりました。国はそういう姿勢なわけですね。責任をとらない、と。
(答)だって、そういう一応の線引きをして、そして、こういうルールでのっとって今まで進んできたわけだから、そこの経過はわかってもらわなきゃいけない。だから、それはさっき、あなたが言われたように、裁判だ何だでもそこのところはやればいいじゃない。またやったじゃないですか。それなりに国の責任もありますねといった。しかし、現実に問題としては、補償の金額だって、ご存じのとおりの状況でしょう。
 だから、そこは、ある程度これらの大災害が起きた後の対応として、国としては、できるだけのことはやったつもりでありますし、まだまだ足りないということがあれば、いま言ったように福島県なり、一番身近に寄り添う人を中心にして、そして、国が支援をするという仕組みでこれはやっていきます。
(問)自主避難の人には、お金は出ていません。
(答)ちょっと待ってください。あなたはどういう意味でこういう、こうやってやるのか知らないけど、そういう風にここは論争の場ではありませんから、後で来てください。そんなことを言うんなら。
(問)責任を持った回答をしてください。
(答)責任持ってやってるじゃないですか。なんていう君は無礼なことを言うんだ。ここは公式の場なんだよ。
(問)そうです。
(答)だから、何だ、無責任だって言うんだよ。
(問)ですから、ちゃんと責任……
(答)撤回しなさい。
(問)撤回しません。
(答)しなさい。出ていきなさい。もう二度と来ないでください、あなたは。

以上である。二人の議論は嚙み合っていない。自主的に避難した人たちに「6年間」も援助をおこない、それが、打ち切られたことに、このフリーランスの記者は異議を唱えている。

「帰れない人はどうするんでしょうか」「栃木からも群馬からも、千葉からも避難されています」「自己責任ですか」「責任を持った回答してください」……等、かなり強引な質問をおこなっている。これに対して、今村大臣は、「本人の責任」であり、「本人の判断」だと答えている。

政府の避難指示の範囲外から「自主的に」避難した人たちに対して、「6年間」も住宅援助してきたこと自体に驚く人もいるのではないだろうか。このフリーランスの記者と自主避難者の論理は、福島は「これからもずっと人の住めない土地」であり、そのために援助が続けられるのは「当然だ」ということにあるのだろう。

しかし、風評被害に苦しむ福島では、懸命な調査によって集められた科学データが、その手の偏見を打ち砕きつつある。福島県内の大半の地域で、放射線量は日本の他のどの地域とも変わりはしないという客観的事実が浮かび上がり、地元紙の福島民友新聞には、毎日の朝刊に、県下286か所での放射線量の測定数値が掲載されている。

だが、福島県内の線量が正常値を示し、復興してくれては困る人たちも現に存在している。それらを「都合の悪い数値」と捉える人もいるのである。いまも、数値的になんの問題もない地域から自主的に避難している人々には、これらの「数値」はどう映っているのだろうか。それらは、「援助を出せ」と迫る根拠を失わせるものであることは間違いない。

この質問の中で、フリーランスの記者は、「群馬」や「栃木」、「千葉」からの避難者に対しても「帰れないから避難生活を続けなければいけない。それは国が責任をとるべきじゃないでしょうか」と質問している。

きっと今村大臣は、「なんで、そんな人まで……」と思ったに違いないが、それでも丁寧に答えている。本来は、会見を仕切る役所の人間が、その時点で質疑をストップさせるのが当然だろう。

もう、大臣とやりとりするような話のレベルではないからだ。しかし、それを怠ったところから、今回の事態が惹起(じゃっき)されたことがわかる。

「群馬」や「栃木」、「千葉」からの避難者に対しても、私たち国民の税金から援助をしなければならないのだろうか。そもそも、なぜ「群馬」や「栃木」、「千葉」から避難しなければならないのか。風評被害に苦しむ福島の人々の姿を知る私には、とても納得することはできない。しかし、日本の新聞は、これらを以下のように報じている。

朝日新聞
〈「切り捨てたい国の本音」 自主避難者ら反発 復興相発言〉(4月6日付)
〈今村復興相 避難への無理解に驚く〉(同日社説)
毎日新聞
〈「自主避難者帰還は自己責任」 復興相発言、野党が批判〉(6日付)
〈復興相発言「悲しい」 自主避難者ら抗議次々〉(同)

まともに報じれば、大臣側に同情が集まる可能性がある。そこで、各メディアは、いつもの「ストローマン手法」を用いて、できるだけ今村大臣への怒りが増幅されるように記事を仕立て上げている。

しかし、そんな日本の新聞やテレビのやり方は、とっくにバレている。ネットでは、フリーランスの記者の質問内容に対して、喧々諤々(けんけんがくがく)の論争が巻き起こっている。新聞が、とても「若者の信頼」を勝ち取ることができないメディアになり果てたことを「再確認」させてくれる出来事だったことは間違いない。

カテゴリ: 原発

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